塗籠日記その弐

とりふねです。ときどき歌います。https://www.youtube.com/user/torifuneameno 堀江敏幸・宮城谷昌光が好きです。

見ること

ずっと「見ること」と「聞くこと」についてあれこれ考えている。最近人から教えてもらった歌。


手にむすぶ水に宿れる月かげのあるかなきかの世にこそありけれ 紀貫之


これは「見ている」歌なのだろう。「見る」ということは世界の外に出て、外から「見る」ということなんだろう。辞世の歌らしい。「この世」にありながらすでに「この世」の外にでているというわけだ。古今集の時代には、人は言葉で世界の外に出られるようになったということか。天上の月と手の水に宿る月とあるかなきかの世が次々と等価で交換されてゆく。万葉時代の「見る」とははたらきが違うような気がする。


君が行く 道の長路(ながて)を 繰り畳(たた)ね 焼き亡ぼさむ天(あめ)の火もがも 
                     狭野茅上娘子(さののちがみのおとめ)


世界の中心で呪言を叫ぶ。ちゅどどどどっ。あくまでも世界のまんなかで。外には出ない。

さて、「見ること」は対象を「切り取る」ことでもある。また対象を「狩る」ことでもある。場合によっては「狩っ」て「切り刻む」。そういう意味でエロス。恋は「見る」。