塗籠日記その弐

とりふねです。ときどき歌います。https://www.youtube.com/user/torifuneameno 堀江敏幸・宮城谷昌光が好きです。

[子どもの本][ことば]オノマトペ  音の喩の世界


〈きらきら〉は擬態語、〈ぱたんぱたん〉は擬音語だ。テーマが決まった後、あれ、〈ゆるゆる〉は擬態語と言えるのか?? とふと思う。しかしよく考えてみると、音声で立ち上がる言葉というもの自体(文字はまた別)、世界のすべてを音で写そう、音で喩えようという無謀な試みがもととなっているのだ。
〈ゆるゆる〉は、〈ゆるい〉という形容詞の語幹をかさねたものだとも言えるが、もとをたどれば、その〈ゆ〉と〈る〉の組み合わせからなる音で、世界のある種の事象を喩えている、たぶん。〈ゆるい 緩い〉〈ゆる 揺る〉〈ゆれる 揺れる〉〈ゆらぐ 揺らぐ〉〈ゆらゆら〉。YとR、少し母音をかえて〈よろめく〉に〈よろよろ〉に〈よれよれ〉。いづれも動き・かたちが定まらないことを共通の要素としている。「このズボンゆるゆる」、すなわち胴体がズボンの中で定まっていない。「ゆれる女心」、相手に対して気持ちが定まっていない。
Rの音は無いが、みんな大好き中原中也の『サーカス』は〈ゆあーんゆよーんゆやゆよん〉。Rがない分、よけい定まらない感じがする。ゆらーんゆらーんだと、まだ輪郭がはっきりするが、Rがないことで輪郭がぼやけ滲み、さらに視覚的に茫漠とした印象になる。ブランコのロープから不安げな音さえ聞こえてきそうだ。




 ××会で、宮澤賢治の作品をミックスしてYさんが書いた脚本の中には、やはり賢治ならではのオノマトペが出てくる。表研脚本のモチーフの一つとなった、『虹の絵具皿(十力の金剛石)』という作品にも、気象・植物・鉱物にじっと目を凝らし、耳をそばだてている賢治らしいオノマトペが満載だ。



「ポッシャリ、ポッシャリ、ツイツイ、トン。はやしのなかにふる霧は、蟻のお手玉、三角帽子の、一寸法師のちいさなけまり」



 ほとんど気体のような霧、液体である水を、P・TS・Tの音で表して輪郭・重さを感じさせている。(冷たさもある。)視点を蟻や一寸法師に置いて、水の粒を大きく捉えているのだ。



「トパァスのつゆはツァランツァリルリン、こぼれてきらめく サング、サンガリン、ひかりの丘に すみながら なぁにがこんなにかなしかろ」




 宝石の雨が降り、それを宝石の植物が受ける。賢治ならではのヴィジョンだ。丘は光に満ちている。花からこぼれる露をTS・R、S・NG・Rという音で拾う。〈キラキラ〉で終わらせないのが賢治流だ。華やかな音は鉱物でありながら有機的なものを感じさせる。賢治は実際に、森や林をゆくとき、気象の変化や植物からこんな音を聴いていたのだろう。SANGは〈さんさん燦々〉にも通じるのかもしれない。×研ではこれに曲をつけたのだが、賢治のオノマトペを楽器でイメージし、グロッケンシュピールの音を使ってみた。




この時光の丘はサラサラサラッと一めんけはいがして草も花もみんなからだをゆすったりかがめたりきらきら宝石の露をはらいギギンザン、リン、ギギンと起おきあがりました。そして声をそろえて空高く叫さけびました。



〈サラサラ〉は予兆、〈ギギンザン、リン、ギギン〉は植物たちの存在の〈精〉が立ち上がる音のようだ。賢治のGやZの強さには少し狂気じみたものを感じることも多い。
 


「お日さんは  はんの木(ぎ)の向(もご)さ、降りでても
   すすぎ、ぎんがぎが まぶしまんぶし。」
ほんとうにすすきはみんな、まっ白な火のように燃えたのです。
  「ぎんがぎがの  すすぎの中(なが)さ立ぢあがる
はんの木(ぎ)のすねの  長(なんが)い、かげぼうし。」
  五番目の鹿がひくく首を垂れて、もうつぶやくようにうたいだしていました。
  「ぎんがぎがの  すすぎの底(そご)の日暮れかだ
   苔(こげ)の野はらを  蟻こも行がず。」
このとき鹿はみな首を垂れていましたが、六番目がにわかに首をりんとあげてうたいました。
  「ぎんがぎがの  すすぎの底そごでそっこりと
咲ぐうめばぢの  愛(えどし)おえどし。」
鹿はそれからみんな、みじかく笛のように鳴いてはねあがり、はげしくはげしくまわりました。
鹿踊り始まり』宮沢賢治



『十力の金剛石』の宝石の植物たちの様子と、『鹿踊りの始まり』で日の落ちるすすきの原が金色に燃え上がり、鹿たちがその存在そのものを立ち上げる様子はとてもよく似ている。その生命力の強さは、強い音の力をもつオノマトペに拠っている。
先日まで、見田宗介の「社会学入門」岩波新書の一節を扱っていた。近代以前の人間にとって鮮烈な色彩は、ヒエロファニーhierophany(聖なるものの顕現)、別世界の消息として感じられていたという(ミルチャ・エリアーデ)。賢治のオノマトペは、まさにヒエロファニーを音で捉えたものと言えるのではないか。





  オノマトペによる別世界の消息。萩原朔太郎の詩には、暗く生臭い生き物の声として顕れる。

 鷄

しののめきたるまへ
家家の戸の外で鳴いてゐるのは鷄(にはとり)です
聲をばながくふるはして
さむしい田舍の自然からよびあげる母の聲です
とをてくう、とをるもう、とをるもう。

(中略)

しののめきたるまへ
私の心は墓場のかげをさまよひあるく
ああ なにものか私をよぶ苦しきひとつの焦燥
このうすい紅べにいろの空氣にはたへられない
戀びとよ
母上よ
早くきてともしびの光を消してよ
私はきく 遠い地角のはてを吹く大風(たいふう)のひびきを
とをてくう、とをるもう、とをるもう。




自然の背後に隱れて居る



僕等が藪のかげを通つたとき
まつくらの地面におよいでゐる
およおよとする象像(かたち)をみた(第一連)



 遺傳



人家は地面にへたばつて
おほきな蜘蛛のやうに眠つてゐる。
さびしいまつ暗な自然の中で
動物は恐れにふるへ
なにかの夢魔におびやかされ
かなしく青ざめて吠えてゐます。
  のをあある とをあある やわあ(第一連)



 朔太郎のオノマトペはW・MとO・Aの母音によって生ぬるい温度と湿度をたもち、くぐもった叫びとなった。そこには、賢治のオノマトペの清浄さとはうってかわった、闇をうごめく「肉」の腐臭がある。描かれる「さびしさ」の色もおのずと違ったものになるようだ。暗闇としての自然は、ときに母great motherの胎内でもあるかもしれない。ねじれた臍帯の匂いと湿り気が感じられる。






 純粋なオノマトペからは少し話が逸れるかもしれないが、鳥のききなしというものがある。柳田國男が『野鳥雑記』で書いている。



自分などの小さい頃には、雲雀は
テンマデノボロウ、テンマデノボロウ
と啼くものと思っていたから、麦畠のへりの土にいながら、そういう鳴き方をするのを聴くと、何かなまけ者の夢のようでおかしかった。それからまたあの羽を互いに傾けつつ下って来る声を
オリヨウ、オリヨウオリヨウオリヨウ
と聴く習いがあった故ゆえに、たまたまそれが行動と一致しないと、今でもあの雲雀はどうかしていると、思わざるを得ないのである。



 燕つばめが軒の端に来て囀っているのを聴くと、あれは
ツチクテムシクテクチシーブイ
というのだと思っていた。土を食い虫を食い口が渋くなったということを、彼もまた中国の田舎の方言を以て談かたっていたのである。画眉鳥ほおじろが杉や川楊かわやなぎなどの最上端にとまって、青い天地を眺めつつ啼く声まで、我々には
イッピツケイジョウツカマツリソロ
というように聴えた。もちろんこれは寺小屋に行く子供などの、邪推といえば邪推のようなものであった。



 秋の蟋蟀(こおろぎ)の「肩させ裾(すそ)刺せ、寒さが来るぞ」でも、さては梟(ふくろう)の五郎助(ごろすけ)奉公、珠数掛鳩(じゅずかけばと)の年寄(としより)来いも、それぞれにこれを聴いて特に心を動かす人があったのである。そうして大抵は老人か女か子供、忙がしい働き手はそんなことを考えている余裕もないから、世の中が段々ませて来ると、もう鳥虫の歌は今日の舶来の歌の如く、意味は何でも構わぬという音楽になるのである。私はこれを忘れてしまわぬうちにと思って、少しずつ集めて置いたものである。こういう話のついでにぼつぼつと思い出すならば、いかるがという鳥がヒジリコキーと啼いたというのも、古い時代の戯れ言葉かと思われる。ヒジリは上人(しょうにん)で女房はないはずであるのに、時々はその聖(ひじり)の児というものがいたのである。キーは調子を高く別に発声するから、恐らくは嘲あざける意味に聴えたのであろう。地方によってはこの鳥を三光鳥(さんこうちょう)ともいって、「月星日(つきほしひ)」と啼くというのが、信州の諏訪・筑摩ではミノカサキー、奥州のどこかの田舎ではアケベエキー、即ち紅い衣を著よと聴いていた時代もあった。四月山々の花のゆったりと咲く頃に、なつかしい心持を以てこの鳥の枝に遊ぶのを、見ていた子供たちの姿まで目に浮ぶようである。



 これとは反対に時鳥(ほととぎす)の啼き声には、どういうわけでか哀愁を催すような話が多く伴のうている。昔名古屋の近くの村で、五つ六つばかりの男の子が、人に連れられて物詣(ものまいり)に行く途中、頻にこの鳥の啼く声を聴いて、一人で嬉しそうに笑っていた。どうして笑うかと人が尋ねると、それでもあの鳥が「ととさへ、かかさへ」と啼くものをといったというのは、親のない児であったのであろう。その年麻疹を病んでその子は死んだと、真澄の奥州の紀行の中に書いてある。郭公(かっこう)は時鳥の雌などという俗説もあるが、これがまた同じように冥土の鳥であった。古い物語に母一人子一人、夕の山路を物淋しく通っていると、早来(はやこ)早来とこの鳥が啼いた。そうして心付いて見ると、背の幼な児は死んでいたという。今では我々の耳にはカッコウとばかり聞えるが、ハヤコもしくはアコという以前の語音に近かったために、特にあの鳴声を怖れていたものと思われる。他の小鳥が寝処を捜す時刻になってから、この二色の鳥ばかりが際限もなく鳴いて来る故に、憂いある者は殊に耳を欹(そばだ)てざるを得なかったのである。



 鳥のききなしとは、人の耳にすでに在る、意味を持つ音の網で、鳥の声を捉える技術である。鳥の声をこちら側への語りかけと「聞き做し」て、意味の世界からそっと歩み寄る。柳田が語る「世の中が段々ませて来ると」とは、「近代」の弊であろう。そうなる前の鳥と人とのやさしい親和が鳥のききなしにはあって、それが人の情感を豊かにし、自然(そこには死後の世界も含まれる)をなつかしく近しくしてくれるものでもあったのだろう。





 日本語のオノマトペの世界は、広くて深い。新しいオノマトペを聞いたり、自分で作ったりすることも少なくない。ドラマやお笑いの世界でも、遭遇することがある。お笑いコンビ般若の「ズクダンズンブングン」などというのもあった。もちろん、漫画・アニメもその宝庫だ。
先日『カルテット』というドラマで満島ひかりが、



「足がみぞみぞする」



と言っていた。きっと「むずむず」では取りこぼす、気に障るなにかがあるのだろう。
以前、オダギリジョー主演の『熱海の捜査官』では、ふせえりが笑い声として



「テシテシテシテシ」



というオノマトペを採用していた。脚本家の発案か、ふせのオリジナルか。なんにしろ、怪女優ならではの怪オノマトペの実存感が物凄かった。(架空の生き物の声という説がある。)破壊的にもほどがある。
そうだ、オノマトペはときに破壊する。言葉のテロである。意味にまみれて動きを緊縛された身体性や、摩耗してはたらかない感覚を、その破壊力で解き放つ。
子どもはオノマトペの世界に生きている。『三匹のやぎのがらがらどん』は主役のやぎの暴力性がそのままオノマトペ的な名前になっている。(もとのノルウェー語はDe tre bukkene Bruse。オノマトペ要素があるのかないのか。)『めっきらもっきらどおんどん』は今も子どもに大人気のベストセラー絵本だ。爆発のようなオノマトペの呪文がそのまま異界への通路になる。
大人が自作のオノマトペを叫びながら公道をゆけば、狂人扱いされるだろうが、老人になってもなお、古いオノマトペ、新しいオノマトペ、うつくしいオノマトペ、おそろしいオノマトペの世界の隣に身を置いて、異界と交信しながら生きていきたいものである。テシテシテシテシ。