塗籠日記その弐

とりふねです。ときどき歌います。https://www.youtube.com/user/torifuneameno 堀江敏幸・宮城谷昌光が好きです。

対話のレッスン」平田オリザ

対話のレッスン
読みやすいエッセイだが
平田オリザ氏の日本語に対する誠実なアプローチが
納得と共感をもたらす。
言葉は変わりゆく。
現代日本語をやみくもに断罪するのではなく
それぞれの変化の「所以」を丁寧に解いてゆく。
「異なるコンテクストのすり合わせ」として
生成してゆくべき「対話」。
日本語における「対話」の必要性が
静かな熱をもって語られる。
1997~2000の執筆なので
その間の社会と言葉の変化の流れを
再び辿ることにもなった。


笑えるところも随所に。
例えば1999の「日本語はどうかわっていくのか」の最後のところ。
曖昧表現による「ロミオとジュリエット」のバルコニーのシーン。
「ねぇ、ロミオ、ロミオ、なんで、ロミオ的には、
ロミオとかって、ロミオなの。
あれさぁ、あなたの家とか捨てちゃって、
家の名前っていうか、モンタギュー?
それって捨てちゃうモードになれないかなぁ、
(中略)そしたらぁ、あたし的にも、
キャピュレットの名前とか、速攻、捨てちゃうって感じぃ。
っていうか(云々)」


読んでいくにつれ
ある意味この人は日本人ぽくないなぁとも思った。
さすが中学卒業後(でしたっけ?)ひとりで世界一周しただけのことはある。
そう思って読んでいたら
終わり近くに
「私は日本人である前に、コスモポリタン世界市民)だと思っている」
とあり、深くうなずいた。


もちろんすべてにおいて賛成というわけではない。
例えばわたしの場合
「古文の助動詞の暗記」は「砂を噛むような」ものではなかった。
リズムそのものが楽しく、声に出してゆくと
言葉そのものの意味が体にしみ込むような
快感さえあった。


また現代日本語の曖昧表現や
ら抜き言葉の出現の理由もそれなりにはわかるが
やはり
大好きな宮城谷昌光の古代中国舞台の作品の
何回もら抜き言葉が出てくるのだけは
看過できないし
とても残念なのだ。
宮城谷さーん、ら抜きだけはやめてよぉ。

「演劇入門」↓
http://www.enpitu.ne.jp/usr7/bin/day?id=76940&pg=20030814

チョコレート工場の秘密

http://chocolatefactorymovie.warnerbros.com/
予告を見ることができたわ。
確かにかわいく色も明るくポップなかんじだが
原作の気味悪さはじゅうぶんに出てると見た。
さすがティム・バートン
ジョニー・デップ
きれいなようでいて
ワンカさんの「恐怖の大王」感出してる。
ポスターもすてきね。


バートンはまんまる眼鏡が好きなのかなぁ。
「スリーピーホロウ」にも
似たような作りの眼鏡みたいなのがあったよね。