塗籠日記その弐

とりふねです。ときどき歌います。https://www.youtube.com/user/torifuneameno 堀江敏幸・宮城谷昌光が好きです。

東京ファイティングキッズ

東京ファイティングキッズ
読むごとに、自分がひっかかっていたことや考えていたことが、きちんと語られていくので、笑い、ときに快哉を叫び、ときにぐっときながら読み終えた。内田樹師は「他者と死者」で初めて出会い、すこしそのひととなりを知ったが、平川克美という人もすごい人ですね。ビジネスの世界にこういう考え方をする人がいるのだなぁと感じ入った。リナックスカフェのHPに行って尊顔を拝してきた。この本で交わされる言葉や考えはとても美しいものです。(カバーをはずすと小学時代の内田少年と平川少年のなかよし写真があって、ほろっとします。)



はじめにまず相手に「そのとおり」と言ってからはじまる対話のすすめかた。
他者は常に先住者であるという考え方。
「先住者が「ここ」を贈与してくれたために、私はいまここにいられるというふうに考えること(内田)」こういう考えに出会うと「ごめんなさい」とあやまりたくなります。現実の自分を考えるとね。泣きたくなります。先日書いた「信頼できる書き手」=「いい人」というのは、考えること、書くことにおいて倫理的ということなんだ。でもよく考えたら、わたしのまわりにはすごく倫理的な人がいっぱいいるわ。ダンサーのMちゃんも、あのひともこのひとも、みんなかなり徹底的に倫理的。だからわたしはときどき彼らにあって話を聞きたいのだなぁ。



平川氏のディベートに対する考え方が披瀝されていたところでは、「そうだ!」と大喜びした。いわく
アメリカの学校ではよくディベートが行われます。自分がそれを信じているかどうかに関わらず、自分に与えられた「考え」で相手を論破できるかどうかを競うというものです。日本にもこういったものを学校教育に導入すべきであるという馬鹿もいましたね。(ひらかわ)」ワーぱちぱち。
なんだか、うさんくさかったんだ、「ディベートやるべき」なんてゆうの。時間で区切って、勝ち負け決めて。そんなの「国語」や「現代文」で扱う時間があったら、もっとねっちりテクストにはりついて読んだ方がいい。夏目漱石でも萩原朔太郎でもテクスト写経からはじめるのがいい。



mothership(motherhoodではない)とホスピタリティのところも印象に残っている。以前、内容がよくわからないにも関わらず、中沢新一師の文章に自分がなぜひかれるかという問いを抱いたときに、自分なりに出した回答が、彼のもののいい方にある「女性性」とか「母性」ということだった。「知」を差し出す手つきがマッチョじゃないのだ。内田師の「他者と死者」を読んだときもやはり同じ感覚をもったので、その本に好意をもったのだね、と納得。内田師がレヴィナス老師宅に行った際のエピソード(ホスピタリティ)も深く心に残った。



また書きます。ヤミィ先生見てますか?
米文学やってるヤミィ先生にもぜひ「東京ファイティングキッズ」は読んでほしいな。