塗籠日記その弐

とりふねです。ときどき歌います。https://www.youtube.com/user/torifuneameno 堀江敏幸・宮城谷昌光が好きです。

「第三者」

新日曜美術館」をつけていたら、「森山・新宿・荒木」という写真展の紹介をしていて、その中で森山氏が、新宿を撮る森山と荒木という二人のカメラマンの間に「第三のカメラマン」がいて云々、というコメントをしていた。昨日「先生はえらい」で、例の「うなぎ@村上春樹」または「対話において語っているのは『第三者』」「二人のうちどちらでもないもの」という話(「他者と死者」にも出てくる)を読んでいたので、たいへんおもしろく耳に残った。
http://www.operacity.jp/ag/index.html



「うなぎ」の話で、思い出したのは、高校生のころ使っていた「天使が通る」というフレーズ。対話、会話がふと途切れた沈黙の時間に与えられた名前だ。対話生成の「うなぎ」とはちょっとちがうが、でも「第三者の存在」のしるしとしては通じるものがあるような。



仕事の上で、この材料をどう扱おうかなというとき、よく「あちらからくるのを待つ」ということがある。それは無論、自分の中からは出てこないし、その「材料」から直接くるのでもない。ある程度「材料」を読み込んだら、あとは一回ちゃらにして端座して待つ、というようなことが多い。「あちら」からうまくくると、だいたいはいい感じで進む。