塗籠日記その弐

とりふねです。ときどき歌います。https://www.youtube.com/user/torifuneameno 堀江敏幸・宮城谷昌光が好きです。

「魂の形について―エッセイの小径 (白水Uブックス)」多田智満子

東西の古い言葉に、魂の形相モルフェーを辿る。あふれる教養のままに(あー教養ってこーゆーものなんだよなー)逍遥する詩人の思考は、そのままギリシアの蝶プシュケーの青白い軽やかさを思わせる。前半、日本の古典の中の魂の形として水鳥、千鳥が示され、大好きな山部赤人の歌が紹介されていた。


ぬばたまの夜の更けゆけば楸(ひさぎ)生ふる清き河原に千鳥しば鳴く


ただの叙景歌ではなく「一種の細い凄み」がある、千鳥は魂の鳥であり、死者への鎮魂も読めるとあり、この歌に惹かれる理由があらためてわかった気がした。確かに、去年歌う機会があった童謡「浜千鳥」や、「ちんちん千鳥」にも死者の魂の気配が感じられる。千鳥や他の鳥の鳴き声が入ったCDが欲しくなってきた。


カムイ・ユーカラ (平凡社ライブラリー)
最後の章の「ブラフマンの座」としての「心臓」→「無限の花びらを開き続ける蓮華」のイメージも美しく強烈だった。そして詩人自身がLSDを服用した際に幻視した「薔薇宇宙の発生」(この作品は過去に現代詩文庫で読んだことがあった)。「古風な実体的『霊魂』が、機能的な『精神』からみすてられた後にも、ブラフマンアートマン的霊魂が否定される理由はない。なぜかといえば人間は偶然の組み立てた機械ではなく、その存在は全宇宙を反映しているからである。天地を循環する水で身を養い、風を呼吸し、眼に星辰を映し、そして見えないものに想いをめぐらすかぎり、人間は無辺際の虚空を蔵した存在でありつづけるであろう。」という詩人の言葉が、この書物の大切なモチーフだ。この気分の流れから行くと次に読むべきは「カムイ・ユーカラ (平凡社ライブラリー)」かな?

「浜千鳥」詞 鹿島鳴秋
青い月夜の 浜辺には
親を探して 鳴く鳥が
波の国から 生まれ出る
濡れた翼の 銀の色


夜鳴く鳥の 悲しさは
親をたずねて 海こえて
月夜の国へ 消えてゆく
銀のつばさの 浜千鳥


「ちんちん千鳥」詞 北原白秋
ちんちん千鳥の啼く夜さは
啼く夜さは
硝子戸しめても まだ寒い 
まだ寒い


ちんちん千鳥の 啼く声は 
啼く声は
燈りを消しても まだ消えぬ
まだ消えぬ


ちんちん千鳥は 親ないか 
親ないか
夜風に吹かれて 川の上  
川の上


ちんちん千鳥よ およらぬか
およらぬか
夜明けの明星が はや白む
はや白む