塗籠日記その弐

とりふねです。ときどき歌います。https://www.youtube.com/user/torifuneameno 堀江敏幸・宮城谷昌光が好きです。

「私の大事な場所」ドナルド・キーン

私の大事な場所今読んでいるところ。日本と日本文学が堪らなく好きな大学者の来し方が、優しい調子で綴られている。表紙の和田誠のイラストも優しい感じにマッチしてすてき。幼少の頃の外国語学習への情熱、戦争への嫌悪、戦後の京都や東京での暮らし、永井荷風や、三島由紀夫とのエピソードなど、楽しく読める。自分の仕事が、日本文学を世界に知らせる架け橋となることについての矜持が静かな情熱をもって語られる。

日本人はよく「家は汚いですが」と謙遜しても実は大変清潔であるが、荷風の部屋は腰を下ろすと埃が舞い立った。荷風は間もなく現れたが、前歯は抜け、ズボンのボタンも外れたままの薄汚い老人そのものだった。ところが話し出した日本語の美しさは驚嘆するほどで、感銘の余り家の汚さなど忘れてしまった。こんな綺麗な日本語を話せたらどれほど仕合せだろうと思った。「わが東京」


話はビューンと飛ぶが、(自分の中ではキーン先生から繋がっているが)今朝、フジテレビに、東京都知事首都大学学長と竹村健一が出ていた。首大の意義を、司会者も含めて、確認しあっていた。横目で見ていたので、話の内容はあまり把握していないが、その後、竹村氏がしきりに「日本人のアイデンティティを…」と繰り返していたのだが、どうもこの「日本人のアイデンティティ」というのが、わたしにはうまく感じられない。日本の文化や文学には興味があるし、少しでも知りたい考えたいと思うが、「日本人のアイデンティティ」と言われると、どこかしらすっと入ってこないところがある。美意識といっても可変で相対的なものだし…。その言葉を使う前に「日本人」と「アイデンティティ」の意味するところをあらためて説明してほしいというか…。たとえば、「アメリカ人のアイデンティティ」ってあるのかな。成り立ち得ないような気がするのだけれど。教えてヤミィ先生。


英文版 日本文化論 - Appreciations of Japanese Cultureキーン先生の日本語と日本文学への情熱だけは確かなことだと思った。(以前、辞書ひきひきがんばって「Appreciations of Japanese Culture」を読んだことがあります。 最後まで行かなかったけど。日本人の美意識や俳句の翻訳における困難、太宰治三島由紀夫谷崎潤一郎などの作品についての論考がおもしろかった。特に太宰についての文章は、日本人が持っている一般のイメージとずいぶんちがっていて。日本語の文庫では、司馬遼太郎との対談などもおもしろかったけれど、ああいうの読むと、もう、自分日本人ですとか言えません。「自分なくし」とか言う前になくす自分がありません。それもいいとは思っているが。おほほ。)


あっキーン先生ったら、キーワードになってない!! びつくり!!