塗籠日記その弐

とりふねです。ときどき歌います。https://www.youtube.com/user/torifuneameno 堀江敏幸・宮城谷昌光が好きです。

H・C・アンデルセン「夜鳴きうぐいす」(ナイチンゲール)

人魚姫 アンデルセン童話集 (2)

人魚姫 アンデルセン童話集 (2)

アンデルセン自伝 ぼくのものがたり人類最古の哲学 カイエ・ソバージュ(1) (講談社選書メチエ)

アンデルセンのお話の中でも特にお気に入りの物語をご紹介します。

中国の皇帝の庭の奥のうつくしい森に住む夜鳴きうぐいす(ナイチンゲール)。その美しい声の噂を旅人のうわさや、学者の書物から知った皇帝は、役人を使わして調理場の娘の案内で小鳥を探させ、宮中に招く。夜鳴きうぐいすは、「わたくしの歌は、この森でお聞きいただくのがいちばん」と言うが、皇帝のたっての希望ということで、御殿におもむく。心にしみとおるような声に皇帝は涙し、ほうびをやろうとするが、小鳥は「陛下の目に浮かんだ涙がなによりのごほうび」という。宮中に住むことになったうぐいすの歌に人びとは聞き惚れ、町の人びとの中でも、夜鳴きうぐいすの歌声のすばらしさがたたえられる。


そんなある日、日本の天子から、宝石をちりばめた美しい機械仕掛けの夜鳴きうぐいすが贈られてきた。皇帝は二羽を歌い合わせてみようとするが、ほんものが好きな歌を好きなように歌うのに、機械の方は、一つの歌を歌いつづけるので、どうしても合わない。つくりものの鳥に皆が聞き入っているうちに、ほんものの方は飛び去ってしまった。皇帝も宮中のものたちも、つくりものの鳥の美しさと、技巧的な歌に喜び、ほんものの夜鳴きうぐいすは、国からも追い出されてしまう。以前、森で声を聞いていた漁師だけが、「いい声には違いないが、何となく心が満たされない」と思っていた。


一年がたち、国民も皆つくりものの鳥の歌を覚えてしまったが、皆が同じ歌を歌えると、よけいにほめそやされた。ところがある日のこと、機械仕掛けのなかで「プツンッ」と音がして、つくりものは動かなくなった。時計屋が呼ばれ、やっとのことで修理をしたが、一年に一度しか鳴かせることができなくなった。そのまた五年後、皇帝は重い病を得て、死の床につく。手回しよく、次の皇帝も決まっており、人びとは、もう皇帝が死んだものと思っていた。瀕死の床の皇帝の胸には、死神が降り立ち、ビロードの帷には、今までの皇帝の善行と悪行が奇怪な顔をのぞかせて皇帝にささやく。皇帝はおそろしさに、「音楽を!」と叫び、つくりものの鳥に、今まで与えたほうびの返礼に歌を歌ってくれと頼むが、そのネジを巻く人間もいない。


その時窓の傍で、たとえようのない美しい声が聞こえてきた。重い病にたおれた皇帝に元気を取り戻してほしいと、あの夜鳴きうぐいすが飛んできたのだ。歌い進めるにつれ、奇怪な顔は消えていき、皇帝の体には血がめぐりはじめ、死神さえもその歌に心を奪われる。「もっと歌ってくれ」という死神に、夜鳴きうぐいすは、死神が抱えた皇帝の宝を取り戻しながら一節ずつ歌い、最後には墓地の歌を歌って、死神を去らせる。感謝する皇帝に、夜鳴きうぐいすは「いえ、お礼はもう十分に」「はじめて歌を歌ったとき、陛下は泣いてくださいました。あのときのことは決して忘れません。わたくしの歌に涙を流してくださったことで、歌を歌うものとしての心は、十分にむくわれるのでございますから。」と言った。朝を迎えた皇帝は、つくりものの鳥を壊すから、ずっとそばにいてほしいと頼む。小鳥は、あの鳥も精一杯務めを果たしたのだから、と諌め、これからはときどき宮中に来て、皇帝の心を慰め、いろいろなことを歌ってきかせると約束する。そして、自分がここに来ることは秘密にするように言って飛び去っていった。召使いたちがおかくれになったはずの皇帝を見に来ると皇帝は言った。「おはよう!」


さて、この美しい物語をあらためて読み返しながら、その核になるものについて考えていたとき、わたしの頭にあったのは、中沢新一さんがカイエ・ソバージュで展開していた考えだった。ナイチンゲールの歌は自然界(異界)からの無尽蔵の贈与であり、物質的な富と交換することはできない。それによってこちら側に囲い込んだり、コントロール(同じ歌を歌わせるなどして)することもできない。

「異界の王」が人間に豊かな獲物を与えてくれる、という考えが、きわめて古い時代から人間には抱かれていましたが、その場合「異界の王」は、そうした富を人間に贈り物として贈与してくれる、と考えられていました。しかも、贈与に対するお返しは対価をお金や物で支払うことができません。じっさいそれは今でも大変に失礼なことと思われています。「自然の王」でもあるこうした「異界の王」が人間に施す贈り物は無尽蔵で、とうてい人間がそれに対する対価を支払えるようなものでないことを、人間はよく知っていましたから、人間は無形の贈り物をお返しとすることで、この気前のいい贈り物への返礼としました。無形の贈り物、それは尊敬をこめた丁寧な儀礼を通して動物たちの霊を送り返すことであり、自然との間に倫理を守った生き方をすることでしょう。
中沢新一「人類最古の哲学」p139


ナイチンゲールは金銀宝石ではなく、皇帝が心から流した涙をその返礼として受け取る。最後に皇帝に秘密を守るように言ったのは、「自然との間に倫理を守る」方法を提示したということではないか。


この物語はまた、生と死のことについてもあれこれと考えさせてくれる。皇帝のもとに届いた機械仕掛けの鳥は、ほんものとちがって飽きることなく一つの歌を歌う。皇帝をはじめ、国民はこぞって、この「不変性」を喜び、同じ歌を歌うようになるが、機械仕掛けの「不変性」はその中に「死」を含んでいた。次に何を歌うか予測のつかないナイチンゲールは多様で豊饒な、生成しつづける自然だったが、かれらはそれを排除し、合わせ鏡のように同じ歌が繰り返される均質さをよしとしてしまう。そこには死の罠が仕掛けられていたのだが。ある日機械仕掛けは停止し、皇帝の死を兆す。


皇帝の死の床に到来したナイチンゲールは、機械仕掛けの鳥とは別な形で、「死」を含み込んだカオスだった。その豊饒な異界の使者は、墓地の歌を歌い、死神をも呑み込んで、皇帝の生命を再生させる。表面的、物質的な美への欲望(エロス)が、動きのない固定的な「死」をもたらし、豊饒な他者の到来を受け入れること(もうひとつのエロス)が死を呑み込んで再生をもたらす。こんなふうに読むのもおもしろい。


そして、この読み方は、物語をある種の(または究極の)恋愛譚として読む道を開いてくれる。恋愛の対象たる他者が、自分の鏡像ではなく、圧倒的な他者として到来することを受容し、その無限の贈与を喜んで受け取り、対価を支払うという形ではなく、皇帝の涙と「秘密を守る」という約束のように、無形の贈り物としておくりかえすこと、そこにとても美しい恋愛の姿を見る。


実際、訳者の解説によると、35歳のアンデルセンが、当時コペンハーゲンで「スウェーデンナイチンゲール」と呼ばれた20歳の歌姫イェニィ・リンドに恋をし、彼女の歌声をモチーフにこの物語は書かれたという。この恋は成就せず、以後アンデルセンは恋をすることもなく、生涯独身を通した。アンデルセン自伝「ぼくのものがたり」を読むと、アンデルセンが、社会の中で誤解されるほどのイノセントな心の持ち主であったという印象が強い。そこから考えると、彼の恋が現実の中で成立せず、物語の中でかえって豊かな生命を得て成就したことが納得できるようだ。アンデルセンの魂にとっては、それこそが真の意味での恋の成就だったとも思えるのだ。