メモ
- 作者: 斎藤環
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2012/02/01
- メディア: 文庫
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いま精神分析を語ることに意味があるとすれば、それは第一に「こころと情報は対立する」ということを、はっきりと主張するためだ。こころは情報化できないし、メディア論では語れない。そして僕らは心を持ち、言葉を語り、転移によって関係を持つことができる存在なのだ。
言葉といい、転移といい、人間のこころってやつはどういうわけか、「情報」を伝えあうためには、ひどく効率の悪いシステムになっている。感情や知識が光ファイバーみたいな回路でさくさく伝えられたら超便利なのにね。でも、その便利さにはどんな意味があるのだろう。
まんま漱石の「こころ」ですね。漱石をラカンで読むのは古くからあるみたいですが。
宮澤賢治「貝の火」が扱われていておもしろかったな。ラカンで読むと切れすぎるだろって感じもしますが。「貝の火」も宮澤賢治らしい「ひどい」話でとても好きです。