ユルスナール 多田智満子訳 東方綺譚 老絵師の行方
マルグリット・ユルスナール著 多田智満子訳 『東方綺譚』
白水uブックス
老絵師の行方
最近堀江敏幸の本ばかり読んでいて、アマゾンのジャングル徘徊中に堀江敏幸がユルスナールを翻訳しているのを知り、(『何が? 永遠が (世界の迷路)』)『ハドリアヌス帝の回想』も読んでいないな、あれは多田智満子訳だったなどと思っていた折、本屋をぐるぐるしていたらuブックスのコーナーが目につき(なんとなくオシャレなんですよ白水社っておとめの憧れ)、ミシェル・リオ著、堀江敏幸訳の『踏みはずし』とともに多田智満子訳『東方綺譚』を買ってしまった。(『踏みはずし』も面白かったですよフィルムノワール気分。)もしかしたら2階の奥の本棚に同じ本があるかもしれないぞと思いながら買ってしまった。そういうことがたまにあるのだ。いかんいかん。
多田智満子は10代前半から後半にかけて好きだった、というか憧れていた詩人だ。家にあった澁澤龍彦の『エロスの解剖』という本の中に、
光よ
海の哄笑よ
若い時間は虐殺された
行くひとよ
ラケダイモンの国びとに
つたえてよ
白い崖に
風のふく朝
痛々しいほどほがらかに
解剖された
美少年ここにねむると
海豚の族ほろびて
太陽は
すでに清浄な廃墟なり
という多田智満子の『EPITAPH』が紹介されていて、そこにある、屹立する、残酷なのにきらきらしいイメージにくらくらしたのである。きらきらにくらくらである。
ユルスナールの著作は『東方綺譚』しか読んでいない。今回の読書はユルスナールを読むというよりは、多田智満子の言葉を楽しむというスタンスであった。こうなるとやはり次はハドリアヌスを読むべきだな。そして堀江訳の『何が? 永遠が』にゆこうか。よしよし。
『東方綺譚』は中国・バルカン・ギリシャ・インド・日本などを舞台に、神話的民話的な世界と人物が描かれる、精緻な織物のような物語集だ。ユルスナール⇒多田智満子の言葉は、描かれる世界に相応しく、多田の詩『EPITAPH』と同様に、残酷な美しさ、硬質な孤絶と華やかな虚無が、読む者を意識下の遠く懐かしい世界にいざなう。
さて、綺譚集の巻頭を飾る『老絵師の行方』である。
老絵師汪佛ワンフォとその弟子玲リンは漢の大帝国の路から路へさすらいの旅を続けていた。老絵師は金銭を卑しみ物欲なく、弟子は師の下書きのつまった重い袋をうやうやしく担いで付き従う。
玲が汪佛の弟子になったのは汪佛に宿を供したことが発端だ。汪佛は彼を自分の絵の皇女のモデルとし、玲の妻を皇子のモデルとして描いた。玲が、妻本人より汪佛の描いた絵の中の妻を愛するようになったため、妻はやつれてゆき、紅梅の枝で縊死する。老絵師は清らかに美しいその死体を好んで描く。玲は傍らで死顔のための緑色の顔料をすりつぶす。
玲は老絵師のために財産をなげうって画材を買い求め、邸が空になると二人は旅に出る。玲は師に身を捧げて尽くす。
ある日帝都に至ると二人は王宮に引き立てられる。縛めの理由を尋ねる汪佛に、皇帝が答える。皇帝の父は、息子を俗人たちの眼差しから遠ざけるため、汪佛の絵で飾られた部屋に彼を住まわせ、現世と隔絶した。皇帝は汪佛の絵が世界である中で育った。16歳で現実世界への扉が開かれ、外に出た彼は帝国を巡ったが、現実世界は彼を幻滅させた。
p19「汪佛、老いぼれの騙りめが。世界は気の狂った絵師によって虚空にまきちらされ、われらの涙によってたえず消される、乱雑な汚点(しみ)の集塊にすぎぬ。漢の王土は最も美しい王土ではなく、余は皇帝ではない。老いたる汪よ、治めるに値する唯一の帝国は、汝が千の曲線と万の色彩の道を辿って入りこむ帝国なのだ。」
そう皇帝は語り、その罪に相応しい罰として汪佛の両眼を焼き、両手を切り落とすよう命じる。宣告を聞いて短刀を手にとびかかった玲は、その場で首を落とされる。
p20玲は自分の血が師の衣服を汚さぬように、前へ一跳びした。兵士の一人が刀を振りあげ、玲の首が切られた花のように胴を離れた。下役人どもが屍を運び去ったあと、汪佛は絶望しながらも、弟子の血が甃(いしだたみ)につけた美しい真紅の汚点(しみ)を感嘆して眺めた。
上に掲げたのは、本作品の中でも最も戦慄的に美しいシーンだ。
この後、皇帝は、死にゆく絵師に、(死にゆく男に施しとして娼婦を与えるのと同様に)下書きで残された彼の作品を完成させるための絵具を与える。そして…。
映像では決して描けない視覚の恍惚がここにはある。(翻訳者多田は神韻縹渺(しんいんひょうびょう)たる本作品の趣に魅せられて、『東方綺譚』全編の翻訳を手がけることとなったと記している。原題は『ワン・フォーの救われたる次第』とのこと。)
芥川『地獄変』の絵仏師良秀を凌ぐ、(ときとして人間的な感情を超えてゆく)汪佛の視覚美と絵画への偏執。縊死して紅梅の枝に揺れる妻の屍や、あっけなく斬首された玲の像(イメージ)の禍々しい艶やかさ。そして、弟子玲の、己を顧みぬ師への献身の「あやうさ」。若き皇帝の愛のような憎悪。(この辺り、ユルスナールの傾向を読むとなるほどと。)
ある意味少女漫画的なアイテム満載で年代問わず「乙女心」のほむらをかきたてる一編であろう。お薦め。『老絵師の行方』はマーラー『大地の歌』など流しながら読むのも雰囲気出るかもね。この他の作品もそれぞれのエグゾティスムで惑わせる。
あ、すでにお分かりだろうが、本作品を鏡の特集で紹介したのは、汪佛の絵が現実を惑乱するもう一つの現実となっている、というほどの謂である。
翻訳者多田智満子は『鏡のテオーリア』というエッセイ集も出している。欲しくてたまらないが、古書で文庫でも結構な値段がついており、未だ手が出ずにいる。
一つ彼女の詩を紹介する。
蓮喰いびと
あなたの乳房のなかに大理石の母乳がねむっている
女神よ
わたしは凶器をたずさえて神話の島にきたが
すでに蓮(ロトス)の実を食べて
忘れるべきことはみな忘れてしまった
後朝(きぬぎぬ)の曙が薔薇色のゆびをもちあげたとき
海の泡から生まれ出たのは
あなたではなくて旋律的な少年である
もしかすると彼はあなたの息子か恋人かもしれない
彼をわたしにください
少年が翼ある言葉をわたしに投げてくれるように
女神よ あなたの神酒(ネクタル)は永遠だが
この蓮(ロトス)の酔いはさめやすいのだ
彼をわたしにください
わたしの六連発のピストルのなかで
六つの夢が輪になって眠るあいだに
多田智満子詩集 『蓮喰いびと』書肆林檎屋 より
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