塗籠日記その弐

とりふねです。ときどき歌います。https://www.youtube.com/user/torifuneameno 堀江敏幸・宮城谷昌光が好きです。

空虚な中心

ずいぶん前にも書いたのだが、中心が「無」「空虚」である状態がいいよね。
http://www.enpitu.ne.jp/usr7/bin/day?id=76940&pg=20020305
期間限定の思想―「おじさん」的思考〈2〉国境なき文学 (アウリオン叢書)
内田先生の「期間限定の思想」を読んでいたら、長島茂雄、寅さん(そして天皇制)が等しく空虚なる中心で、それが集団の成員を繋いだり、外部との媒介をしたりするという話があって、「空虚な中心」という考え方自体が大好きなので、(「塗籠」もそう)おもしろかった。おもしろいなーと思いつつ、今度はヤミィ先生からもらった「国境なき文学」の栩木先生の「フロンティアとしてのアイルランド」を読んでいたらシェイマス・ヒーニーという北アイルランドの詩人(この人はノーベル文学賞を取っているのね。寡聞にして知らず。)の詩「ボグランド(沼地)」が紹介されていて、その最後の部分。



  (大意)アイルランドの開拓者たちは内へ下へと切り拓いてゆく。剥がしてみると地層一枚一枚にすでに野営のあとがあるようだ。沼穴の水は大西洋が滲みだしているのかも。穴の中心は底なしだ。
  (解説)末尾では、沼地の水脈を西の大海へ繋げることによって、西方には常若の国(ティール・ナ・ノーグ)があるという古いケルトの神話と、機会の国である新大陸へ渡海してゆく近代の神話が、たくみに連結されています。      
(これは補陀落渡海? アメリカは西方浄土か。 BYとりふね)


と、あった。ボグランドは、泥炭が採れる以外利用価値がほとんどない土地だそうだ。外部にもつながる中空構造は日本だけじゃないみたい。他にも探してみよう…。ムーミンにもあったよ。
ムーミン谷の十一月 (ムーミン童話全集 8)
http://homepage2.nifty.com/torifune/shohyo.htm
こういうことを考えていると、愉しい。みうらじゅんが「いい崖」を採取したように「空虚な中心」を採取するのも愉快だ。