塗籠日記その弐

とりふねです。ときどき歌います。https://www.youtube.com/user/torifuneameno 堀江敏幸・宮城谷昌光が好きです。

「抗争する人間(ホモ・ポレミクス) (講談社選書メチエ)」今村仁司 朝日新聞書評

近代性の構造 (講談社選書メチエ)抗争する人間(ホモ・ポレミクス) (講談社選書メチエ)柄谷行人氏による書評を読む。この本は未読だが(買うかどうかわからない、難しそうだし。)以前「近代性の構造 (講談社選書メチエ)」を(無理に)読んだときに感じたことと似たようなことが書いてあった。

 著者は、究極的には、暴力に依拠する制度を廃棄する可能性があると考える。それは「覚醒倫理」、すなわち、「こうした欲望との批判的な対決であり、対他欲望を消し去るための闘い」によってもたらされる。しかし、これは宗教的悟達に似ている。歴史の原動力を社会的欲望(仏教で言えば煩悩)に見いだす理論、あるいは、自己意識から出発する理論は、そのような解決(解決不能)しか見いだせないのである。
 実際、ジラールは(ある意味ではラカンも同様であるが)人間が解決不可能な困難をもつことを執拗に示すとき、暗黙裏にカトリックという救済装置をもっていた。人間がいかに無力であるかをいえばいうほど、信仰による救済が示唆される。つまり、根本的には保守派の議論なのである。著者の今村氏もそうなのか。あるいはそうでないのか。4月17日 朝日新聞

以前自分が読んでいたときに、あれーそこに行っちゃいますか、とびっくりしたのが似たようなところだったのだ。キリストが磔になるところを考えちゃったのだ。一部抜粋。

第五章 「排除」と「差別」の構造を超えて は
本書の中でもわたしにはもっともわかりやすかった。
目新しい考え方ではない。
どちらかと言えば、
昔からそれはわかってるよ、
というようなことがまとめられている。
自分が感じ、考えていたことが
間違いではなかったのだな、と確認する。
ただ、おおっと思ったのがラスト。
示した問題に対して
今村先生はどういう解決法をしめすのかなぁと、
興味シンシンで読み進めていくと、
「えーっ、それを言っちゃぁ反則じゃっ!?」
いや、否定するわけではないんですが…。
 人間中心主義は人間/非人間の切断線を立てるところには
 いつでも発生する。
 排除と差別の根絶への期待は絶望的だが、
 絶望的だと判断することが、まずは出発点になる。
 その判断については古来欺きの言説が多すぎたし、今もそうである。
 欺きのイデオロギーの正体をつきとめて、
 欺くことに加担しないことが必要だ。
 正義は、常に人間ではなく非人間のほうにある。
 差別と排除のメカニズムをのりこえるためには
 自分の中の「異者」に気づき、
 自ら「異者になること」だけがとるべき道である。
って、ねぇ。
そのようなカードをきっちゃってよいのでしょうか??
そりゃ、もう、宗教じゃないの…。でもいい人だ…。

今度の本でもにたような印象になるのかなぁ。その先はないのかなぁ。
それと、「自ら異者になること」が具体的にどうすることなのか、今村先生の考えを教えてほしいな。
http://www.enpitu.ne.jp/usr7/bin/day?id=76940&pg=20020809