塗籠日記その弐

とりふねです。ときどき歌います。https://www.youtube.com/user/torifuneameno 堀江敏幸・宮城谷昌光が好きです。

暗黙知と形式知

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東京ファイティングキッズの平川克美さんの文章を読んで、荘子の「渾沌」のお話を思い出したので前に書いたのを写しておく。

荘子 「渾沌」 金谷治訳 岩波文庫

南海の帝を倏シュクといい、北海の帝を忽コツといい、中央の帝を渾沌コントンといった.シュクとコツとはときどき渾沌の土地で出あったが、渾沌はとても手厚く彼らをもてなした.


シュクとコツとはその渾沌の恩に報いようと相談し、「人間にはだれにも(目と耳と鼻と口との)七つの穴があって、それで見たり聞いたり食べたり息をしたりしているが、この渾沌だけはそれがない.ためしにその穴をあけてあげよう.」ということになった.そこで一日に一つずつ穴をあけていったが、七日たつと渾沌は死んでしまった.


「穴」というお題でこの話を思い出す。ひどく陰惨な話だけれどわけもなく好きだ.けっこう漢文の教科書に載っていたりするようだ.穴をうがたれた渾沌の姿はティム・バートンに描いてほしい.


字統シュクは本当は上の字ではなく犬の部分が黒の旧字である.シュクコツで「たちまち」の意.「嘗試(こころみ)にこれを鑿(うが)たんと」の「鑿」の字は、字そのものがかなりコワイ.ちょっと錆のはいった分厚い鉄の刃物でガリガリやられそうだ.しかもココロミにである.ココロミにウガタレたのではたまらない.余計なお世話.こういう善意は悪質である。この種の悪質な善意は今もいたるところにある.曰く、分別智が真智を殺す.(「字統」白川静) そこまで言わずとも、どこかハートにぐっと来る話である.

荘子 第1冊 内篇 (岩波文庫 青 206-1)
暗黙知=真知、形式知=分別知でしょうか?? ちょっとちがうか。