塗籠日記その弐

とりふねです。ときどき歌います。https://www.youtube.com/user/torifuneameno 堀江敏幸・宮城谷昌光が好きです。

ハリー・クラーク絵 荒俣宏訳 アンデルセン童話集

バルザムとエーテル (無信仰)アンデルセン童話集 (挿絵=クラーク)注文していたアンデルセン童話集が届いた。ハリー・クラークの絵が目当てだ。小学生から中学生にかけての愛読書に(多分親の持っていた新潮かどこかの文学全集の中の)エドガー・アラン・ポーの作品集があった。「アッシャー家の崩壊」「モルグ街の殺人」グロテスクななかにもどこか清澄な美しさを持つ作品群はわたしの心を虜にした。「赤死病の仮面」が特にお気に入りだった。高校になって「アッシャー家の崩壊」で感想文を提出したこともあった。(その後、もちろん「エドガーとアランとポーの一族」も、別な意味でわたしのお気に入りになった。)



そして、そのポーの作品を彩っていたのが、見るものを凍り付かせるような冷たさとおそろしさ、神経の異常さを感じさせるハリー・クラークの絵だった。ペンの点描と線描は、脳に掻痒感をもたらす細密さ、気持ちが悪いのに眼が離せぬといった代物で、飽かず眺めていた。真似をして点描や線描も試みた。(出来映えは言わない。)


今年はアンデルセン生誕200年なので、いろいろと関係する本が出ているが、その中でもこの本は特別。すぐに注文した。過去にわたしは、ポーのことをその作品の感触からずっとイギリス人だと思っていて、その後アメリカ人と知ったときはずいぶんびっくりしたということがあった。その後、ではハリー・クラークもアメリカ人だろうと思っていたのだが、帯を見てみると、なんとアイルランドのダブリン生まれで、元は父の工房でステンドグラス職人として働いていたそうだ。深ーく納得。しかも、このたびはてなのキーワードを見てみると、ポーはイギリスにいた時期があるのですね。さらに納得。そしてアンデルセンの挿絵が1916年のクラークの処女作であり、その評判が上々であったために、第二作であり大ヒットとなったポーの挿絵の仕事をしたという。ただ無条件に好きだったものについて、年を経てこんなふうに知るのもまた味わい深い。tatarさんが縄文なるものについてまとめておられたが、クラークにしろ、やはりわたしの好きなビアズリーにしろ、テクノロジーの時代になってから、ケルト的なもの縄文的なものが(ちょっと歪んで)噴出したものではないのかしら。


帯に言う。「荒俣さんにとっては、アンデルセンはクラークの絵を通してもう一度読まれ直されなければならない文学」「これは文字通り荒俣宏から読者への心を込めた贈り物」。荒俣さんありがとう。はじめてみるクラークの彩色画も楽しんで読もう。それにしても今久しぶりにこの絵を見ると、その後好きになった漫画家宮西計三「ピッピュ」の絵は、これによく似ていたんだなーということがわかった。びっくりした。

黒猫・黄金虫 (新潮文庫)

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