塗籠日記その弐

とりふねです。ときどき歌います。https://www.youtube.com/user/torifuneameno 堀江敏幸・宮城谷昌光が好きです。

兼好によると格差社会は

http://d.hatena.ne.jp/kate_dimanche/20060208#p1
http://d.hatena.ne.jp/kate_dimanche/20060210#p1
kateさんの格差社会のエントリを読み、いつもながら自分としてまったくはっきりした意見考えを組み立てられず、たまたま最近見直す機会があった徒然草の、わたしとっては愉快な箇所が思い浮かんだので、自分のメモとして写しておこうと思います。時代も価値観もちがいますし、あまり役には立ちませんね。このような文章を愉快と思ってるのは「下流」なのかしら…。嵐山光三郎が中学生くらいの人のために訳しているもの(その訳しかた、口調)がすごく笑えます。後でそちらものせますね。

http://www2s.biglobe.ne.jp/~Taiju/turez_1.htm
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名利に使はれて靜かなる暇なく、一生を苦しむるこそ愚かなれ。財(たから)多ければ身を守るにまどし。害を買ひ煩ひを招く媒(なかだち)なり。身の後には金(こがね)をして北斗を支ふとも〔北斗は北斗星、白氏文集に「身後推レ金柱2北斗1、不レ如生前一樽酒。」〕、人の爲にぞ煩はるべき。愚かなる人の目を喜ばしむる樂しび、又あぢきなし。大きなる車、肥えたる馬、金玉の飾りも、心あらむ人はうたて愚かなりとぞ見るべき。金は山にすて、玉は淵になぐべし〔文選に「捐2金於山1、沈2珠於淵1。」又莊子に「藏2金於山1、藏2珠於淵1。」〕。利に惑ふは、すぐれて愚かなる人なり。埋もれぬ名をながき世に殘さむこそあらまほしかるべけれ。位高くやんごとなきをしも、勝れたる人とやはいふべき。愚かに拙き人も、家に生れ時にあへば、高き位にのぼり、驕りを極むるもあり。いみじかりし賢人聖人、みづから卑しき位にをり、時に遇はずして止みぬる、また多し。偏に高き官位(つかさくらゐ)を望むも、次におろかなり。智惠と心とこそ、世に勝れたる譽も殘さまほしきを、つら\/思へば、譽(ほまれ)を愛するは人の聞きを喜ぶなり。譽むる人、毀る人、共に世に留まらず、傳へ聞かむ人また\/速かに去るべし。誰をか恥ぢ、誰にか知られむことを願はむ。譽はまた毀(そしり)のもとなり。身の後の名殘りて更に益なし。これを願ふも次に愚かなり。たゞし強ひて智をもとめ、賢をねがふ人の爲にいはば、智惠出でては僞(いつはり)あり〔老子の「智惠出有2大僞1。」〕、才能は煩惱の増長せるなり。傳へて聞き、學びて知るは、まことの智にあらず。いかなるをか智といふべき。可不可は一條なり〔善惡は唯一つの義、莊子齊物論〕。いかなるをか善といふ。まことの人は、智もなく徳もなく、功もなく名もなし。誰か知り誰か傳へむ。これ徳をかくし愚を守るにあらず、もとより賢愚得失のさかひに居らざればなり。まよひの心をもちて名利の要を求むるに、かくの如し。萬事はみな非なり。いふに足らず、願ふに足らず。

兼好の考え方は、引用にもあるように、全体にかなり老子荘子の考え方の色が濃いのですね。相対的な世界を否定していく。ただ、上のような文章を書いたり、40歳で死んだ方がいいんだといったりするわりには、友達に持つならモノをくれる人や、医者がよい、といったりしてかなり執着心の強いところも見せているのが、兼好のおもしろおかしいところですね。やっぱり生きている人間だから、相対的なものを否定することなんかできない。枕草子とか徒然草を読むと、時間を超えてブログを読んでいる感があって愉快。兼好法師トラックバックしたりして。
言葉が生まれることで、まじないみたいに変なものが呼び出される感じがあるなぁ。「いじめ」とか「格差」とか、現実があって言葉が生まれたとは思えないときがあります。「いじわる」が「いじめ」になり、「差」が「格差」になるとき、なんだか邪悪なものが、世界に新たに出現するような…。
カメムシはじぶんのことカメムシだって思っていないのよねぇ。(あっどんどんちがうところに行ってしまう…いかんいかん。)

徒然草・方丈記 (少年少女古典文学館)

徒然草・方丈記 (少年少女古典文学館)