塗籠日記その弐

とりふねです。ときどき歌います。https://www.youtube.com/user/torifuneameno 堀江敏幸・宮城谷昌光が好きです。

十蘭堂朗読会@スピリチュアルラウンジ

4月20日、朗読会。出演者も多いし、会場はいっぱいで、立ち見の人も。前回もそうでしたが、朗読のよしあしということではなく、ひとりひとりが、それぞれのテクストを、それぞれのくふうで「読む」ことのおもしろさが感じられ、その「興」がよかった。音楽のライヴよりさらに「ライヴ感」があるというか。「読む」人が、その行為やたたずまいも含めて「生きている」人ということを感じさせるのです。インテリやくざ風のユッキーさんの司会も素敵だったし、あいだにはいったアコーディオン中心のバンドF.H.Cの演奏も朗読会ととてもなじんでいて、企画者小磯君さすが。わたしは、この話があったとき、既にあるものを読もうということは決めていて、はじめに読みたいと思ったのは、折口信夫の「死者の書」の第一章でした。これはあまりに長いので断念。次に考えたのは漱石の「夢十夜第一夜」と宮澤賢治の「青森挽歌」でした。長さの関係で、直前まで迷っていました。「夢十夜」は、その言葉の流れが大好きなのですが、やはり散文であり、読むとどうしてもへんな演出が自分の中で入ってテクニックに流されてしまうようで、結局「青森挽歌」を読みました。これはずっと昔からどこかで声に出して読んでみたかったもので、今回お招きいただいて読む機会を得たことをとてもうれしく思っています。前夜はそれでも「ここはこう読んで」などと考えていましたが、ステージ上では、なるべくそういうのはやめて、テクストに「読まされる」感じで、お経を唱えるような気持で読みました。一緒にきてくださった方もそういう風に感じたと言ってくれたのでよかった。3月から4月にかけて、たてつづけに、知っている方、かかわりのある方が亡くなったというのもあって「青森挽歌」を読んだことは、わたしにとって意味のあるものになりました。小磯君ありがとう。
http://park19.wakwak.com/~zariganiya/jurandou/jurantop.htm

青森挽歌
               宮澤賢治

こんなやみよののはらのなかをゆくときは
客車のまどはみんな水族館の窓になる
   (乾いたでんしんばしらの列が
    せはしく遷ってゐるらしい
    きしゃは銀河系の玲瓏〔れいらう〕レンズ
    巨きな水素のりんごのなかをかけてゐる)
りんごのなかをはしってゐる
けれどもここはいったいどこの停車塲〔ば〕だ
枕木を焼いてこさえた柵が立ち
   (八月の よるのしづまの 寒天凝膠〔アガアゼル〕)
支手のあるいちれつの柱は
なつかしい陰影だけでできてゐる
黄いろなラムプがふたつ點〔つ〕き
せいたかくあほじろい驛長の
眞鍮棒もみえなければ
じつは驛長のかげもないのだ
   (その大學の昆蟲學の助手は
    こんな車室いっぱいの液体のなかで
    油のない赤髪〔け〕をもぢゃもぢゃして
    かばんにもたれて睡ってゐる)
わたくしの汽車は北へ走ってゐるはづなのに
ここではみなみへかけてゐる
焼杭の柵はあちこち倒れ
はるかに黄いろの地平線
それはビーアの澱〔をり〕をよどませ
あやしいよるの 陽炎と
さびしい心意の明滅にまぎれ
水いろ川の水いろ驛
  (おそろしいあの水いろの空虚なのだ)
汽車の逆行は希求〔ききう〕の同時な相反性
こんなさびしい幻想から
わたくしははやく浮びあがらなければならない
そこらは青い孔雀のはねでいっぱい
眞鍮の睡さうな脂肪酸にみち
車室の五つの電燈は
いよいよつめたく液化され
  (考へださなければならないことを
   わたくしはいたみやつかれから
   なるべくおもひださうとしない)
今日のひるすぎなら
けはしく光る雲のしたで
まったくおれたちはあの重い赤いポムプを
ばかのやうに引っぱったりついたりした
おれはその黄いろな服を着た隊長だ
だから睡いのはしかたない
  (おゝおまへ〔オージウ〕 せはしいみちづれよ〔アイリーガーゲゼルレ〕
   どうかここから〔アイレドツホエヒト〕急いで〔フオン〕去ら〔デヤ〕ないでくれ〔ステルレ〕
  《尋常一年生 ドイツの尋常一年生》
   いきなりそんな悪い叫びを
   投げつけるのはいったいたれだ
   けれども尋常一年生だ
   夜中を過ぎたいまごろに
   こんなにぱっちり眼をあくのは
   ドイツの尋常一年生だ)
あいつはこんなさびしい停車場を
たったひとりで通っていったらうか
どこへ行くともわからないその方向を
どの種類の世界へはいるともしれないそのみちを
たったひとりでさびしくあるいて行ったらうか
 (草や沼やです
  一本の木もです
 《ギルちゃんまっさをになってすわってゐたよ》
 《こおんなにして眼は大きくあいてたけど
  ぼくたちのことはまるでみえないやうだったよ》
 《ナーガラがね 眼をぢっとこんなに赤くして
  だんだん環〔わ〕をちいさくしたよ こんなに》
 《し、環をお切り そら 手を出して》
 《ギルちゃん青くてすきとほるやうだったよ》
 《鳥がね、たくさんたねまきのときのやうに
  ばあっと空を通ったの
  でもギルちゃんだまってゐたよ》
 《お日さまあんまり變に飴いろだったわねえ》
 《ギルちゃんちっともぼくたちのことみないんだもの》
  ぼくほんたうにつらかった》
 《さっきおもだかのとこであんまりはしゃいでたねえ》
 《どうしてギルちゃんぼくたちのことみなかったらう
  忘れたらうかあんなにいっしょにあそんだのに》
かんがへださなければならないことは
どうしてもかんがへださなければならない
とし子はみんなが死ぬとなづける
そのやりかたを通って行き
それからさきどこへ行ったかわからない
それはおれたちの空間の方向ではかられない
感ぜられない方向を感じやうとするときは
たれだってみんなぐるぐるする
 《耳ごうど鳴ってさっぱり聞けなぐなったんちゃい》
さう甘へるやうに言ってから
たしかにあいつはじぶんのまはりの
眼にははっきりみえてゐる
なつかしいひとたちの聲をきかなかった
にはかに呼吸がとまり脈がうたなくなり
それからわたくしがはしって行ったとき
あのきれいな眼が
なにかを索めるやうに空しくうごいてゐた
それはもうわたくしたちの空間を二度と見なかった
それからあとであいつはなにを感じたらう
それはまだおれたちの世界の幻視をみ
おれたちのせかいの幻聴をきいたらう
わたくしがその耳もとで
遠いところから聲をとってきて
そらや愛やりんごや風、すべての勢力のたのしい根源
萬象同帰のそのいみじい生物の名を
ちからいっぱいちからいっぱい叫んだとき
あいつは二へんうなづくやうに息をした
白く尖ったあごや頬がゆすれて
ちいさいときよくおどけたときにしたやうな
あんな偶然な顔つきにみえた
けれどもたしかにうなづいた
   《ヘッケル博士!
    わたくしがそのありがたい證明の
    任にあたってもよろしうございます》
 假睡珪酸〔かすゐけいさん〕の雲のなかから
凍らすやうなあんな卑怯な叫び聲は……
 (宗谷海峡を越える晩は
  わたくしは夜どほし甲板に立ち
  あたまは具へなく陰湿の霧をかぶり
  からだはけがれたねがひにみたし
  そしてわたくしはほんたうに姚戦しやう)
たしかにあのときはうなづいたのだ
そしてあんなにつぎのあさまで
胸がほとってゐたくらゐだから
わたくしたちが死んだといって泣いたあと
とし子はまだまだこの世かいのからだを感じ
ねつやいたみをはなれたほのかなねむりのなかで
ここでみるやうなゆめをみてゐたかもしれない
そしてわたくしはそれらのしづかな夢幻が
つぎのせかいへつゞくため
明るいいゝ匂のするものだったことを
どんなにねがふかわからない
ほんたうにその夢の中のひとくさりは
 かん護とかなしみとにつかれて睡ってゐた
おしげ子たちのあけがたのなかに
ぼんやりとしてはいってきた
《黄いろな花こ おらもとるべがな》
たしかにとし子はあのあけがたは
まだこの世かいのゆめのなかにゐて
落葉の風につみかさねられた
野はらをひとりあるきながら
ほかのひとのことのやうにつぶやいてゐたのだ
そしてそのままさびしい林のなかの
いっぴきの鳥になっただらうか
I'estudiantinaを風にききながら
水のながれる暗いはやしのなかを
かなしくうたって飛んで行ったらうか
やがてはそこに小さなプロペラのやうに
音をたてゝ飛んできたあたらしいともだちと
無心のとりのうたをうたひながら
たよりなくさまよって行ったらうか
   わたくしはどうしてもさう思はない
なぜ通信が許されないのか
許されている、そして私のうけとった通信は
母が夏のかん病のよるにゆめみたとおなじだ
どうしてわたくしはさうなのをさうと思はないのだらう
それらひとのせかいのゆめはうすれ
あかつきの薔薇いろをそらにかんじ
あたらしくさはやかな感官をかんじ
日光のなかのけむりのやうな羅〔うすもの〕をかんじ
かがやいてほのかにわらひながら
はなやかな雲やつめたいにほひのあひだを
交錯するひかりの棒を過ぎり
われらが上方とよぶその不可思議な方角へ
それらがそのそのやうであることにおどろきながら
大循環の風よりもさはやかにのぼって行った
わたくしはその跡をさへたづねることができる
そこに碧い寂かな湖水の面をのぞみ
あまりにもそのたひらかさとかがやきと
未知な全反射の方法と
さめざめとひかりゆすれる樹の列を
ただしくうつすことをあやしみ
やがてはそれがおのづから研かれた
天のる璃の地面と知ってこゝろわななき
紐になってながれるそらの樂音
また瓔珞やあやしいうすものをつけ
移らずしかもしづかにゆききする
巨きなすあしの生物たち
速いほのかな記憶のなかの花のかほり
それらのなかにしづかに立ったらうか
それともおれたちの聲を聴かないのち
暗紅色の深くもわるいがらん洞と
意識ある蛋白質の砕けるときにあげる聲
亞硫酸や笑気〔せうき〕のにほひ
これらをそこに見るならば
あいつはその中にまっ青になって立ち
立ってゐるともよろめいてゐるともわからず
頬に手をあててゆめそのもののやうに立ち
(わたくしがいまごろこんなものを感ずることが
いったいほんたうのことだらうか
わたくしといふものがこんなものをみることが
いったいありうることだらうか
そしてほんたうにみてゐるのだ)と
斯ういってひとりなげくかもしれない……
わたくしのこんなさびしい考は
みんなよるのためにでるのだ
夜があけて海岸へかかるなら
そして波がきらきら光るなら
なにもかもみんないいかもしれない
けれどもとし子の死んだことならば
いまわたくしがそれを夢でないと考へて
あたらしくぎくっとしなければならないほどの
あんまりひどいげんじつなのだ
感ずることのあまり新鮮にすぎるとき
それをがいねん化することは
きちがひにならないための
生物体の一つの自衛作用だけれども
いつでもまもってばかりゐてはいけない
ほんたうにあいつはここの感官をうしなったのち
あらたにどんなからだを得
どんな感官をかんじただらう
なんべんこれをかんがへたことか
むかしからの多數の實験から
具舎がさっきのやうに云ふのだ
二度とこれをくり返してはいけない
おもては軟玉〔なんぎょく〕と銀のモナド
半月の噴いた瓦斯でいっぱいだ
巻積雲〔けんせきうん〕のはらわたまで
月のあかりはしみわたり
それはあやしい螢光板〔けいくわうばん〕になって
いよいよあやしい苹果の匂を發散し
なめらかにつめたい窓硝子さへ越えてくる
青森だからといふのではなく
大てい月がこんなやうな暁ちかく
巻積雲にはいるとき……
     《おいおい、あの顔いろは少し青かったよ》
だまってゐろ
おれのいもうとの死顔が
まっ青だらうが黒からうが
きさまにどう斯う云はれるか
あいつはどこへ堕ちやうと
もう無上道に属してゐる
力にみちてそこを進むものは
どの空間にでも勇んでとひこんで行くのだ
ぢきもう東の鋼もひかる
ほんたうにけふの…きのふのひるまなら
おれたちはあの重い赤いポムプを…
     《もひとつきかせてあげやう
      ね じっさいね
      あのときの眼は白かったよ
      すぐ瞑りかねてゐたよ》
まだいってゐるのか
もうぢきよるはあけるのに
すべてあるがごとくにあり
かゞやくごとくにかがやくもの
おまへの武器やあらゆるものは
おまへにくらくおそろしく
まことはたのしくあかるいのだ
     《みんなむかしからのきやうだいなのだから
      けっしてひとりをいのってはいけない》
ああ わたくしはけっしてさうしませんでした
あいつがなくなってからあとのよるひる
わたくしはただの一どたりと
あいつだけがいいとこに行けばいいと
さういのりはしなかったとおもひます