塗籠日記その弐

とりふねです。ときどき歌います。https://www.youtube.com/user/torifuneameno 堀江敏幸・宮城谷昌光が好きです。

なめとこ山の熊


なめとこ山の熊 宮澤賢治



 中沢新一カイエ・ソバージュのシリーズや『緑の資本論』を読んでからは、すっかり≪対称性人類学≫っぽいフォーマットが頭に刷り込まれてしまい、そんな読み方しか出来なくなってしまいました。
 というわけで宮沢賢治の『なめとこ山の熊』です。

 淵沢小十郎はなめとこ山の熊捕りの名人です。



 

すがめの赭黒いごりごりしたおやじで胴は小さな臼ぐらいはあったし掌は北島の毘沙門さんの病気をなおすための手形ぐらい大きく厚かった。
 小十郎は夏なら菩提樹マダの皮でこさえたけらを着てはむばき(脚絆??)をはき生蕃(せいばん、中央の教化に従わない原住の人々)の使うような山刀とポルトガル伝来というような大きな重い鉄砲をもってたくましい黄いろな犬をつれてなめとこ山からしどけ沢から三つ又からサッカイの山からマミ穴森から白沢からまるで縦横にあるいた。

 体格はいかつく風体も異形で、里の人々とは異なる荒々しい様子が想像されます。小十郎自身がケモノのようでもあります。小十郎は原始の美しさを残す谷を『自分の座敷』をゆくように歩いて行きます。熊たちは小十郎のことを好きだった、と語り手は言います。獲物になる熊が猟師のことを好きというのは私たちにとっては不思議なことです。しかし、賢治の物語の中ではこの種のことはとても自然なこととして語られます。



 そこであんまり一ぺんに言ってしまって悪いけれどもなめとこ山あたりの熊は小十郎をすきなのだ。その証拠には熊どもは小十郎がぼちゃぼちゃ谷をこいだり谷の岸の細い平らないっぱいにあざみなどの生えているとこを通るときはだまって高いとこから見送っているのだ。木の上から両手で枝にとりついたり崖の上で膝をかかえて座ったりしておもしろそうに小十郎を見送っているのだ。まったく熊どもは小十郎の犬さえすきなようだった。


 そんな熊たちですが、小十郎と遭遇してしまえば、そこは猟師と獲物の格闘の場面となります。小十郎は冷静な猟師として銃の力で熊の生命を奪い、胆や毛皮を手に入れます。



 小十郎はぴったり落ち着いて樹をたてにして立ちながら熊の月の輪をめがけてズドンとやるのだった。すると森までががあっと叫んで熊はどたっと倒れ赤黒い血をどくどく吐き鼻をくんくん鳴らして死んでしまうのだった。小十郎は鉄砲を木へたてかけて注意深くそばへ寄って来てこう言うのだった。
「熊。おれはてまえを憎くて殺したのでねえんだぞ。おれも商売ならてめえも射(う)たなけぁならねえ。ほかの罪のねえ仕事していんだが畑はなし木はお上のものにきまったし里へ出ても誰(たれ)も相手にしねえ。仕方なしに猟師なんぞしるんだ。てめえも熊に生れたが因果ならおれもこんな商売が因果だ。やい。この次には熊なんぞに生れなよ」
 そのときは犬もすっかりしょげかえって眼を細くして座っていた。


 小十郎は、自分が生きるために熊の生命を奪うことに負い目を感じています。自分はたまたま人間に生まれた。そうしてたまたま社会の中で貧しさに生きるしかなく(搾取され財としての農地や森林を持たず)、熊はたまたま熊に生まれた。熊の生命を奪う(自然から搾取する)しかないのですが、そのことは小十郎をひどく傷つけているようです。



 小十郎がまっ赤な熊の胆(い)をせなかの木のひつに入れて血で毛がぼとぼと房になった毛皮を谷であらってくるるまるめせなかにしょって自分もぐんなりした風で谷を下って行くことだけはたしかなのだ。


 そんな風に傷つくほど熊の存在に寄り添う小十郎ですから、『小十郎はもう熊のことばだってわかるような気がした。』という語りはすんなり読者の心に入ってくるのです。そんな小十郎があるとき見た母子熊の姿はとても不思議で美しいものでした。去年の夏にこさえた笹小屋に何度行こうとしても行けず、やっと見つけたときのことです。



 小十郎がすぐ下に湧水わきみずのあったのを思い出して少し山を降りかけたら愕いたことは母親とやっと一歳になるかならないような子熊と二疋ちょうど人が額に手をあてて遠くを眺めるといったふうに淡い六日の月光の中を向うの谷をしげしげ見つめているのにあった。小十郎はまるでその二疋の熊のからだから後光が射すように思えてまるで釘付になったように立ちどまってそっちを見つめていた。すると小熊が甘えるように言ったのだ。
「どうしても雪だよ、おっかさん谷のこっち側だけ白くなっているんだもの。どうしても雪だよ。おっかさん」
 すると母親の熊はまだしげしげ見つめていたがやっと言った。
「雪でないよ、あすこへだけ降るはずがないんだもの」
 子熊はまた言った。
「だから溶けないで残ったのでしょう」
「いいえ、おっかさんはあざみの芽を見に昨日あすこを通ったばかりです」
 小十郎もじっとそっちを見た。
 月の光が青じろく山の斜面を滑っていた。そこがちょうど銀の鎧のように光っているのだった。しばらくたって子熊が言った。
「雪でなけぁ霜だねえ。きっとそうだ」
 ほんとうに今夜は霜が降るぞ、お月さまの近くで胃(コキエ、胃宿)もあんなに青くふるえているし第一お月さまのいろだってまるで氷のようだ、小十郎がひとりで思った。
「おかあさまはわかったよ、あれねえ、ひきざくら(こぶし)の花」
「なぁんだ、ひきざくらの花だい。僕知ってるよ」
「いいえ、お前まだ見たことありません」
「知ってるよ、僕この前とって来たもの」
「いいえ、あれひきざくらでありません、お前とって来たのきささげの花でしょう」
「そうだろうか」子熊はとぼけたように答えました。小十郎はなぜかもう胸がいっぱいになってもう一ぺん向うの谷の白い雪のような花と余念なく月光をあびて立っている母子の熊をちらっと見てそれから音をたてないようにこっそりこっそり戻りはじめた。風があっちへ行くな行くなと思いながらそろそろと小十郎は後退あとずさりした。くろもじの木の匂が月のあかりといっしょにすうっとさした。


 なにもなくてもこの場面の柔らかく内側から光を放つような美しさは読者に響きます。この場面より前に、小十郎の犬を紹介するくだりで、小十郎の妻と息子が赤痢で亡くなったことが知らされています。小十郎の心の中で、熊の母子の姿が小十郎の妻子に重なったと言うのは、なんだか表面的な解釈で終わってしまって私は嫌ですが、熊の世界が、人間の世界と同様に、またそれ以上に清らかに息づいているものであり、壊してはならないものだという思いに小十郎が打たれたことは間違いないでしょう。




 さて、山を自在に渡り歩く小十郎ではありますが、町(金銭が支配する場所)に熊の皮を売りに行くときには、たいへんみじめなことになります。荒物屋の主人に熊の皮を買い叩かれてしまうのです。語り手は小十郎の味方で、怒りをあらわにしています。



 けれども日本では狐けんというものもあって狐は猟師に負け猟師は旦那に負けるときまっている。ここでは熊は小十郎にやられ小十郎が旦那にやられる。旦那は町のみんなの中にいるからなかなか熊に食われない。けれどもこんないやなずるいやつらは世界がだんだん進歩するとひとりで消えてなくなっていく。僕はしばらくの間でもあんな立派な小十郎が二度とつらも見たくないようないやなやつにうまくやられることを書いたのが実にしゃくにさわってたまらない。


 賢治は語り手の口を借りて、『旦那』たちは世界の進歩につれて消えていなくなってしまうだろうと言い切っていますが、今の世の中を眺めて見ると賢治の思い通りには運んでいないようです。賢治が生きていたら何と言い、何をするでしょうか。

 

 ある日見つけて仕留めかけた熊に小十郎は命乞いをされます。二年待ってくれれば家の前で死んでいてやると言うのです。
 


 「おまえは何がほしくておれを殺すんだ」
「ああ、おれはお前の毛皮と、胆のほかにはなんにもいらない。それも町へ持って行ってひどく高く売れるというのではないしほんとうに気の毒だけれどもやっぱり仕方ない。けれどもお前に今ごろそんなことを言われるともうおれなどは何か栗かしだのみでも食っていてそれで死ぬならおれも死んでもいいような気がするよ」
「もう二年ばかり待ってくれ、おれも死ぬのはもうかまわないようなもんだけれども少しし残した仕事もあるしただ二年だけ待ってくれ。二年目にはおれもおまえの家の前でちゃんと死んでいてやるから。毛皮も胃袋もやってしまうから」
 小十郎は変な気がしてじっと考えて立ってしまいました。熊はそのひまに足うらを全体地面につけてごくゆっくりと歩き出した。小十郎はやっぱりぼんやり立っていた。熊はもう小十郎がいきなりうしろから鉄砲を射ったり決してしないことがよくわかってるというふうでうしろも見ないでゆっくりゆっくり歩いて行った。そしてその広い赤黒いせなかが木の枝の間から落ちた日光にちらっと光ったとき小十郎は、う、うとせつなそうにうなって谷をわたって帰りはじめた。



  母子熊の場面では、小十郎が風が運ぶ匂いに注意することで遭遇は避けられていましたが、今度は避けがたい対面です。そこで小十郎は熊の言葉を聞き入れ、二年後に熊は約束を果たします。対称的な関係がはっきりと成立した場面だと思います。荒物屋に買い叩かれていた小十郎だから、胆や皮のために殺される熊の訴えを自分のことのように受けとめてしまうのでしょう。「う、うとせつなそうにうなって」というところに熊の苦しみをわかってしまう小十郎の苦しみがほとばしっているようです。




 一月のある日小十郎は、「婆さま、おれも年老とったでばな、今朝まず生れで始めで水へ入るの嫌(や)んたよな気するじゃ」と言ってうちを出ます。「すると縁側の日なたで糸を紡いでいた九十になる小十郎の母はその見えないような眼をあげてちょっと小十郎を見て何か笑うか泣くかするような顔つきをした。」となどという部分を読むと、このようなふとした表現の中に宮澤賢治の言葉の凄みとでもいうものがぎらりと光るようです。もちろんそれは猟師として生きてきた男の終末の予兆です。夏に眼をつけていた大熊が小十郎を襲いました。





 小十郎は落ちついて足をふんばって鉄砲を構えた。熊は棒のような両手をびっこにあげてまっすぐに走って来た。さすがの小十郎もちょっと顔いろを変えた。
 ぴしゃというように鉄砲の音が小十郎に聞えた。ところが熊は少しも倒れないで嵐のように黒くゆらいでやって来たようだった。犬がその足もとに噛み付いた。と思うと小十郎はがあんと頭が鳴ってまわりがいちめんまっ青になった。それから遠くでこう言うことばを聞いた。
「おお小十郎おまえを殺すつもりはなかった」
 もうおれは死んだと小十郎は思った。そしてちらちらちらちら青い星のような光がそこらいちめんに見えた。
「これが死んだしるしだ。死ぬとき見る火だ。熊ども、ゆるせよ」と小十郎は思った。それからあとの小十郎の心持はもう私にはわからない。


 この場面のスピードと凄まじさはどうでしょう。そして熊の言葉と小十郎の最後の言葉は殺すしかなかった相手への悲歌のように響き合っています。それから三日目の晩、座ったように置かれた小十郎の死骸を真ん中に、黒い大きなものたちが祈りひれ伏すように囲んでいる光景がありました。死に凍えた小十郎の顔は「まるで生きてるときのように冴え冴えして何か笑っているようにさえ」見えたのです。
 


 アイヌ民族では熊はカムイ(神)であり、イオマンテとはアイヌ儀礼のひとつで、ヒグマなどの動物を殺してその魂であるカムイを神々の世界(カムイモシリ)に送り帰す祭り(ウィキペディア)のことです。『なめとこ山の熊』のラストは、さかさまのイオマンテのようです。最後まで熊の存在を自分と同等のものとして対峙した小十郎に、熊たちが最上の敬意を示して弔い、その魂を送り帰す場面なのです。



 また、この物語は「マタギ」と呼ばれる人々のことを思い起こさせます。



 (ウィキペディアより)マタギは、東北地方・北海道で古い方法を用いて集団で狩猟を行う者を指す。「狩猟を専業とする」ことがその定義とされる。獲物は主に熊の他に、アオシシカモシカニホンザル、ウサギなども獲物とした。古くは山立(やまだち)と呼ばれており、特に秋田県の阿仁マタギが有名である。その歴史は平安時代にまで遡るが、他の猟師には類を見ない独特の宗教観や生命倫理を尊んだという点において、近代的な装備の狩猟者(ハンター)とは異なることに注意する必要がある。



 アイヌマタギの中に見られる自然界に対する倫理は、いずれも金銭が支配する世界の中でその息の根を止められてきたものなのでしょう。中沢新一氏は『緑の資本論』の狂牛病の話の中で、狂牛病を、牛に牛を餌として与え、自然のエチカ(倫理)を逸脱した人間界への自然からのテロというふうに捉えていたと記憶しています。最近テレビで、増えすぎて農地を荒らす鹿をただ捕殺するのではなく、その肉をありがたくいただく、そのためにハンターと料理人が連携してジビエ料理を普及させようという活動があるのを知りました。ただ、現在のような社会では、費用や労力がかかる上に安定供給できない効率の悪い食材(あくまでも商品です)として見られ、食肉にまわされるのは10%程度なのだそうです。(ウィキペディア ジビエの項)
 『なめとこ山の熊』の語り手が考えていた『世界の進歩』とは違う進歩の道を私たちは進んでいるのでしょう。



 また別の話になりますが、最近、網野善彦中沢新一の義理の叔父さん)の『職人歌合』や『中世の非人と遊女』を読んでいました。そのため、死んだ生き物に触れる(死穢)人々への賤視が、もともとあったものではなく、中世の途中から起こったものである、ということを思い出しつつ、熊の死を扱う小十郎の暮らしぶりや、荒物屋との関係を考えることができました。

職人歌合 (平凡社ライブラリー)

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中世の非人と遊女 (講談社学術文庫)

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生きていく民俗 ---生業の推移 (河出文庫)

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緑の資本論

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熊から王へ カイエ・ソバージュ(2) (講談社選書メチエ)

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