塗籠日記その弐

とりふねです。ときどき歌います。https://www.youtube.com/user/torifuneameno 堀江敏幸・宮城谷昌光が好きです。

メモ 見田宗介 「宮沢賢治存在の祭りの中へ」 その他 

twitterメモ転載。千夜千冊の赤坂憲雄「東北学」→宮沢賢治「原体剣舞連」→見田宗介宮沢賢治」→中沢新一「純粋な自然の贈与」という流れ。5月5日から5月7日にかけて。あいだに内田樹ブログ引用。あ、そこからなんとなくバタイユへ。自分の中ではつながったのだけど…。ほんとにつながってるかはよくわからない。


  • メモ「遠野の草分けの家は、きっと大同年間の田村麻呂の制圧の名残りで発祥していたのであろう。そればかりか早池峰神社や六角牛山善応寺なども大同年間の建立の言い伝えをもっていることからすると、この「大同」という響きには東北そのものの「負」が刻印されている。」松岡・赤坂 posted at 11:23:10
  • メモ「原体は江刺郡田原村の原体(はらたい)という部落のことで、剣舞連はそこに伝わる剣舞のことをいう。その中ほどに「達谷の悪路王」が出てくる。」posted at 11:28:33
  • メモ「『むかし達谷(たった)の悪路王 まつくらくらの二里の洞(ほら) わたるは夢と黒夜神 首は刻まれ漬けられ この詩は「消えてあとない天のがはら 打つも果てるもひとつのいのち』と結んでいて、大同2年の背後の闇に散った「いのち」の伝承が告げられる。」松岡・赤坂 posted at 11:29:16
  • メモ「みんながめいめいじぶんの神さまがほんとうの神さまだというだろう、けれどもお互いほかの神さまを信ずる人たちのしたことでも涙がこぼれるだろう。それからぼくたちの心がいいとかわるいとか議論するだろう。そして勝負がつかないだろう。」銀河鉄道 posted at 15:51:22
  • メモ「ぼくたちはぼくたちのからだだって考えだって、天の川だって汽車だって歴史だって、ただそう感じているのなんだから、そらごらん、ぼくといっしょにすこしこころもちをしずかにしてごらん。」銀河鉄道 posted at 15:55:35

古本屋で買った1984刊、見田宗介宮沢賢治−存在の祭りの中へ」読むなう。この図p55が賢治の作品を読むのにとてもぴったり。それにしてもこの著者が宮沢賢治について書いていたのは意外だった。 http://twitpic.com/4tl8je posted at 16:08:50

  • メモp115「よだかにしてもさそりにしても〜「なめとこ山」の小十郎にしても、賢治が自分をそこに投影する主人公たちは、自分が生きていることが否応なしに他者たちの死を前提としているような、原的な罪の存在たちである。父母たちの〜グスコープドリもまた同じである。」見田宗介 宮沢賢治 posted at 17:33:56
  • メモp116「客観的なものとしてわたしたちの存在をつらぬいている構造が、これらの修羅たちにおいては透明に露出していて、痛みとして感覚されているだけである。」posted at 17:37:26
  • メモp117「だからわたしたちにとって修羅の世界に堕ちるということは、客観的な墜落ではなく、じつはひとつの認識である。それはひとつの遍在する自己欺瞞からの解放であり、自己自身の存在にまで透徹された明晰さである。」posted at 17:45:17
  • メモp139「出現罪とは、行為の罪ではなく存在の罪である。心やさしいバケモノたちは、自分たちがまちがって存在してしまうことのないように、人間たちの知らないところで自分を裁いているのである。」見田宗介 宮沢賢治 posted at 18:00:01

「出現の罪」ってシェイクスピア「あらし」のキャリバンとか思い出しちゃう。posted at 18:02:57

  • メモ「けれども学者のアラムハラドは小さなセララバアドという子がすきでした。この子が何か答えるときは学者のアラムハラドはどこか非常に遠くの方の凍ったように寂かな蒼黒い空を感ずるのでした。」学者アラムハラドの見た着物 宮沢賢治 posted at 18:35:24
  • メモ「小さなセララバアドは少しびっくりしたようでしたがすぐ落ちついて答えました。「人はほんとうのいいことが何だかを考えないでいられないと思います。」」posted at 18:36:59
  • メモ「アラムハラドはちょっと眼をつぶりました。眼をつぶったくらやみの中ではそこら中ぼうっと燐の火のように青く見え、ずうっと遠くが大へん青くて明るくてそこに黄金の葉をもった立派な樹がぞろっとならんでさんさんさんと梢を鳴らしているように思ったのです。」posted at 18:37:19
  • メモp157「この<自己犠牲>のモラルがそれ自体、そのかなたにある闇や光にとりかこまれた有限のものであるということを、セララバアドの答えは開示してしまっている。<自己犠牲>のモラルをとりかこむ闇とはさしあたり、<倫理の相対性>という恐怖としてとらえられる。」見田宗介 宮沢賢治
  • http://bit.ly/kLuHya 「『安宅』は「存在しないものをあたかも存在するかのように擬制することによって、存在したかもしれない災厄の出来を抑止する」というメカニズムを私たちに示してくれる。ここでいう「存在しないもの」が「災厄の到来を事前に感知する能力」である。」posted at 13:47:29
  • http://bit.ly/kLuHya 「私が「デインジャー対応能力」と呼ぶのは、ひとつの「物語」である。そう言いたければ「幻想」と言い切っていただいても構わない。 けれども、幻想を侮ってはいけない。」posted at 13:50:56
  • 「「存在するはずだったのに、しなかった現実」と均衡するのは、理論的には「存在しないはずなのに、存在してしまった幻想」だけだからである。それはシーソーのような構造になっている。それが今日の核戦略における「抑止力」と構造的に相同的であることはまことに皮肉と言う他はないけれど。」posted at 13:51:53

http://bit.ly/iMp01Z  お三方の鼎談本、amazonで予約注文済み。『大津波原発中沢新一内田樹木・平川克美 共著 4月5日に Ustream「ラジオデイズ」で配信された番組「いま、日本に何が起きているのか」posted at 13:59:17

あらしにしやがれ 再 にまさかの松岡正剛。posted at 14:10:05

はい、放送後すぐに書籍化のはこびとなったそうで。こちらと合わせて読むとよいかと。→http://amzn.to/k92e5x 坂本龍一×中沢新一 縄文聖地巡礼 posted at 14:20:57

  • メモ。p201「<力にみちてそこを進むもの>だけが、自分の「世界」に裂け目をつくって未知の空間に出で立ってゆくことができる。そこは<がいねん化>のはたらく以前の、すべてがあるがごとくにかがやいてある場所である。賢治ととし子、生きているものと死んでいるもの、人間とあらゆる生命、人間とあらゆる非生命とをわけへだてている障壁をつきやぶる武器は、わたしたち自身の内にあるナワールの力であった。今ある<わたくし>のかたちに執着して自衛する力としてのトナールにとって、くらくおそろしい力にみえるだけである。それはわたしたちが、<外に出る>こと、万象の同帰するあの光の中に身をさらすことの、恍惚と不安がひとつのものであるような戦慄を表現している。」見田宗介 宮沢賢治 posted at 21:11:06
  • メモ。p203「宮沢賢治がじぶんの身体を<みのりに捨てる>ことを願望し、そのようにその生涯の最後の日までを生きたのは、死に魅入られていたからではなく、このようにその身体のかなたにひろがるいちめんの生に魅入られていたからだと思う。」見田宗介 宮沢賢治 posted at 21:14:27
  • メモ。p247「<ミンナニデクノボートヨバレ>ることを、賢治がわざわざ願望しているわけではない。そんな不気味なマゾヒズムではなく、ただ存在の祭りの中に在ることが、この社会の価値の序列をしんじるひとびとの目からみて無にもひとしいものであることを、意にかけるつもりはないということを宣言しているだけである。」見田宗介 宮沢賢治 posted at 21:19:16

見田宗介宮沢賢治存在の祭りの中へ」読了。古い本だけどすっと腑に落ちるよい本だったし、賢治の読解も、文章自体も美しかった。岩波現代文庫になっていた。http://amzn.to/kz0J82社会学のひとにこんなの書かれたら、国文学のひとはもう書くことが無くて困っちゃうだろうなあ。posted at 21:23:52

見田「宮沢賢治」は中沢さんの「貨幣が社会の富を貯蔵し、流通させる手段として発達するようになると、人間の生きる世界の底部では、いっせいにあの「充溢した無」の領域への開口部が閉じられはじめるのだ。」純粋な自然の贈与 序曲p20 と通じるものがあった。posted at 21:31:28

たしか「哲学の東北」で宮沢賢治のこと書いてたよな…。posted at 21:33:19

  • 今日はこういう流れ。メモ。p371「<理性>がなかったのなら私ははたして笑うことができるだろうか。自分を至高だと信じた<理性>なくして私ははたして神を笑うことができるだろうか。だが笑いは死の領域に向かって開かれているし、神がこの領域に出没している! 」バタイユ 純然たる幸福 posted at 00:49:10
  • メモ。「だが名ざすことができない無限のものだけが完全なのである。これだけが、<理性>の笑いよりももっと恐ろしくて、もっと遠くにあるのである!」バタイユ 純然たる幸福 posted at 00:54:55


宮沢賢治―存在の祭りの中へ (岩波現代文庫―文芸)

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東北学 忘れられた東北 (講談社学術文庫)

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純粋な自然の贈与 (講談社学術文庫)

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哲学の東北

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