塗籠日記その弐

とりふねです。ときどき歌います。https://www.youtube.com/user/torifuneameno 堀江敏幸・宮城谷昌光が好きです。

「憲法九条を世界遺産に」太田光・中沢新一

憲法九条を世界遺産に (集英社新書)

憲法九条を世界遺産に (集英社新書)

おもしろいところだらけ。二人はメル友だったんですね。太田光を本で読むのははじめてでしたが、このごろTVではずいぶん「熱」をもってしゃべっているな、とてもはりつめているな、という印象でした。先日は、政治にもの申す日本では珍しい芸人として、ニューヨークタイムズにも大きくとりあげられたとか。http://www.nytimes.com/2006/08/12/world/asia/12ota.html?_r=1&oref=slogin
自分の生きている文脈から読んでも、とてもおもしろかったのですが、時折、太田氏に、危ういほどの悲壮感のようなものが感じられました。それはTVでの印象の延長線上にあるもので、かなり思いつめている感じがして、どきどきはらはらしてしまいます。本の中で太田氏が語る、「奥さんの心配」がわかるような気がします。「身の危険」などもあるのではないかと思う。一気に読んで目が乾燥したので、明日でもできれば興味のあったところを抜き書きしたい。



気に入ったところの抜き書きです。合いの手入り。中沢さんの発言が多いのは、中沢さんの言葉遣いがわたしの耳になじんでいるのと、太田さんの発言が揺れや混乱を感じさせて、意味を定めがたいからだと思います。特に中間部の、太田さんの書いた文章は、どうも暴れる魚に言葉の網をかけ損なっているような印象でした。二人の話は、そこが対談のおもしろいところですが、やはり微妙にずれているようです。うまくどうと指摘はできませんが…。愛のギフトと誤解。

  • 中沢(対談の前に)この対談で僕はどうしても田中君のような奥ゆかしい立場を守っていることができなかった。〜僕までがいっしょになってとんがった思考を展開してみせたものだから、ときどきあまりにも深刻な話題の黒雲に正面からつっこんでしまい、読者の方々にしばしばひどい揺れや緊張をもとめることになってしまった。p8(確かに読んでいて緊張しましたよ、田中さんは太田さんの安全装置なんですね。@と)
  • 中沢 ただし人間の場合は、ある程度条件付けが似ていて、同じ国語を話していると、コミュニケーションがわりと簡単にできる。外国語だとそこに少しクッションが入るけれど、他の生物よりは誤解も少なく、共同体がつくりやすい。でもひとりひとりは自分の幻想の中から世界を見ていて、お互いの間に透明な了解なんかできっこない。でもそれでいいんじゃないか。つまり、ちがう意識の構造を持ったもの同士が、誤解を伴ったディスコミュニケーションをすることによって世界は成り立っている。そこには、無数の誤解やずれがあるけれど、そのディスコミュニケーションの中で、この世界の豊かさがつくられているともいえます。p31(ほんとにそのとおり@と)
  • そうなると、国家、宗教、法が作動している世界と、ディスコミュニケーションを命として、豊かな世界を育んでいる世界との間に、大きな齟齬が生じてきます。〜法律も宗教も、人間からディスコミュニケーションをなくして、みんな同じことを考えれば、世界は完璧なものになると考えていますね。〜ところが僕らの世界は、ディスコミュニケーションでできている。宮沢賢治は、この世界がディスコミュニケーションでつくられているということに、ものすごく悩んだ作家だと思います。〜他人の苦しみが自分の苦しみと同じであるような状態をつくりあげたいと思っていた。そんなときに、彼は宗教思想にのめり込んだのだと思います。p32〜33
  • 中沢 太田さんのいまの言い方を借りれば、人間は愛情への恐れから、貨幣をつくり出したということにもなるでしょう。愛情があれば擬人化もするし、物に想いも込めてしまいます。〜そういう世界では物の交換はギフト(贈与)としておこなわれるようになる。〜つまり、ギフトによる物の交換をおこなう社会では、交換とは常に愛の交換でもあった。ところがその愛情ゆえに戦争が発生します。p38
  • 中沢 未熟であること、成形になってしまわないこと、生物学でいうネオテニー幼形成熟)ということは、ものを考える人の根本条件なんじゃないですか。〜矛盾を受け入れている思想はどこか未熟に見えるんですよ。たとえば神話がそうでしょう。自分の中に矛盾したものを、平気で受け入れていく。それに従って現実の世界でも生きていこうとすると、しばしば未熟だといわれます。ふつうの大人はそうは考えません、現実の中でははっきりと自分の価値付けを決めておかなければいけないという、立派な役目があるからです。効率性や社会の安定を考えれば、そういう大人はぜひとも必要です。僕も大人の端くれとして、それに従って生きようと思うんですが、自分の内面に、そうそう簡単に否定できないカオス(混沌)がありますから、そのカオスを否定しないで生きていこうとしてきました。p45(そういうとこが好きです@と)
  • 中沢 ギフトというドイツ語は、贈り物と同時に毒という意味ももっていて、贈り物を贈って愛を交流させることは、同時に毒を贈ることだとでもいう意味がこめられているんでしょう。昔の人たちは、この世界が矛盾でできていることを前提に生きてきました。だから、矛盾を平気で自分の中に受け入れてきた。絶対に正しいとか、純粋な愛情とか、そんなものは信じてなかったし、あり得ないとおもっていたわけですね、p46〜47
  • 中沢 物事の浮かぶ海の上で、波が立っていることばかりに気を取られていると、その底流で動いているものが見えなくなってしまう。p65
  • 中沢 その意味でいうと、憲法九条は修道院みたいなものなんですね。修道院というのはけっこう無茶なことをしているでしょう。普通の人たちが暮らせない厳しい条件の中で、人間の理想を考えている。修道院は労働もしないし、そんなもの無駄なような気もしますけれども、人間にとって重要なのは、たとえ無茶なばしょであっても、地上にそういう場所がある、ということをいつも人々に知らせているということでしょう。普通に考えたらありえないものが、村はずれの丘の上に建っているというだけで、人の心は堕落しないでいられる。p75(村上春樹の「雨天炎天」の中のギリシャ修道院と黴パンを食べる猫のことを思い出したりした@と)
  • 太田 昔から日本には武士道もあったけれど、落語の文化も一緒に持っていて、うまくバランスをとってきたんじゃないかと。日本人がこれは正義だと信じる美しい武士道精神がある一方で、「いや、ちょっと待てよ」とそれを茶化す文化も同時にあったわけです。〜中沢 同感です。「国家の品格」は、その大事なところを取りこぼしています。p104〜105
  • 太田 人間生きていると、あいつ許せないと思うことがいっぱいある。でもそんなことも含めて古典落語は笑っちゃう。〜中沢 優しいんですね、ホリエモン的な人間に対しても優しい。視線が高いとも言えるし、まあとことん低いとも言える。低いところから見ているから、世の中でぐんと上昇した人が落下していくのを見ても、何か優しいんでしょうね。この人たちをそんなにいじめちゃいけないよねっていう視線がある。そこがすばらしいですね。いつもちょっと外にいることができるスタンスです。外というのは、社会の価値観の外という意味もあるけれど、突き詰めていけば死者の場所です。死者と生きている者の間に立って、落語は成り立っているんじゃないかと思います。p110(こういう話の持っていきようは、私のもっともしっくりくる好きなところです@ と)
  • 中沢 最近、世界に蔓延しているのは、ゴーマンです。でもこの世にいつまでも不滅なものはないし、万能なものもない。理性だって限界があるし、国家だって限界があるし、その限界の中にありなながら、自由というのはある。p116
  • 中沢 現実的な思考をすれば、国家にとっては不戦しかあり得ない。ところが日本国憲法はそうじゃない。非戦だと言い切っている。そこが日本国憲法のユニークさなんですね。国家が国家である自分とは矛盾する原理を据えているわけで、日本国憲法世界遺産に指定するに値するポイントですね。p126
  • 中沢 知恵を働かせて、埋葬されたものを復活させていこうと思っています。感受性の復活は、死んだ者を復活させたり、埋葬されてしまったものを復活させるために、生きている人間の努力の中からしか、実現できないですからね。p156

 
集英社さん、中沢新一みうらじゅんの対談も企画してくれないかなー。
今日買ったもう2冊の本。
ブッダは、なぜ子を捨てたか (集英社新書) 神社の系譜 なぜそこにあるのか (光文社新書)