「金子兜太養生訓」黒田杏子 定住漂泊・荒凡夫
- 作者: 黒田杏子
- 出版社/メーカー: 白水社
- 発売日: 2005/09/30
- メディア: 単行本
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- 高度成長期に入って、私の中で社会に対する暗黒感が出てきた。そのときに生な人間を見定めようとした。ものを与えられたあとの人間は実際、どんなかたちになっていくんだろうかということを見てみたいと思った。もっと別な言い方をすると、「もの足りて、人さすらう」という気持になった。ものが足りれば足りるほど、人間いうのはさすらい感、孤独感をもってくるんじゃないかという思いです。〜そこから私は『定住漂泊』を書いた。さすらい、漂泊の心性、心というものをみんなもっている。世の中が豊かになればなるほど逆に、漂泊の心性に憑かれて、独りの道を歩むようになる。歩めなくなった場合でも、定住したその状態でその漂泊の心性を温める。温めることのなかから何かが生まれてくる。p87
- (『定住漂泊』より)鉄鉢、散りくる葉を受けた(山頭火) この場面など、漂泊者のあらかたの心体につうずるものがあろう。漂泊とは流魄の情念であって、山頭火や放哉の場合は放浪を伴ったが、必ずしも放浪を要しない。さすらいの現象態様ではないのだ。そうではなくて、反時代の、反状況の、あるいは反自己の、または我念貫徹の、定着を得ぬ魂の有り態であって、その芯に〈無〉がある。無は諾う対象としてあり、あるいは、絶つべき対象としてある。p92
- 諾うにせよ、絶つにせよ、気分の無と争うとき、流魄の情念は燃える。精神というものがその争いの中に見えてくるとき、流魄は求道のおもむきを具える。私は、この争いのなかの流魄情念を定住漂泊と呼ぶわけだが、その有り態は一様ではない。一様ではないが、共通していえることは、日常漂泊のように日常性の中に流れないことだ。逆に、日常の中に屹立するのである。屹立させるものが、その者の心機にある。そこに詩もある。p93
- 俳諧は大衆性と一流性の二重構造でできあがった文学形式である。ところが私はご覧のとおり、戦後俳句のある時期は一流性だけを目指していたわけで、自分一人でいいと思っていた。それは大きなイノセント、幼稚な考え方であって、ほんとうの俳句文芸というものを知っていなかったのだろうということに自分で気づきました。一茶はまさにその固まりです。そこから「ふたりごころ」も出てくるわけです。〜当時は芭蕉の流行の時代だ。芭蕉に負けないくらいの句を作るという考え方はある。また、つくれば遊俳です。商売をしながら心を遊ばせるために俳句をやっている。そういう連中から褒められる。褒められれば連中の支持が得られる。そういう意味ではやはり一流の句も作らなければいかん。その両方を一茶はしっかり考えていたと思いますよ。そのスタンスがおのずから一茶の場合はできていた。なんでできていたか。これはだんだんわかってきたのですが、「ふたりごころ」をおのずから彼がもっていて、それをますます磨いていったということでしょう。「ふたりごころ」ということは相手に向かって心を開いていくことです。自分に閉じないこころです。p101
- では、なぜ一茶にもともと「ふたりごころ」があったといえるかというと、これは私の最近のキーワードだが、「生き物感覚」というものをもっていたからです。よく私はアニミズムといいますが、一茶はアニミズムを心性としてもっていた。アニミズムの所有者は生き物を生き物として認め、それに精霊を感じる。そういう原始宗教の姿です。p102
金子さんは、斉藤茂吉と漱石ばかり読んでいた時期もあるとのこと。茂吉は、ほんのちょっとしか読んでいないけれど、目にした歌はどれも好きだったし、漱石も好きなので、そこもおもしろかった。
中に紹介されていた句です。
- 水脈の果炎天の墓碑を置きて去る
(トラック島から帰るときつくったもの。仲間の死を見ながら、それでも生き残った人の強さや、晴れ晴れとしたものさえ感じる。@と)
- 人体冷えて東北白い花盛り
(晩春から初夏の東北、さらに日本列島におよぶはるばるとした思い、そこに人間たちが生きているということ、という金子さん自身のことばがきだが、わたしは生と死がとなりあわせ、死の中で生がきわだつ、という印象。@と)
- 谷に鯉もみ合う夜の歓喜かな
(ご本人の評にもあるが、夜の中の色彩、触感、生命感がエロティック。@と)
- 谷間谷間に満作が咲く荒凡夫
(小林一茶が六十歳のお正月に「自分は煩悩具足のわがままもの、この〈愚〉は直りそうもない。いっそのこと自分は荒凡夫で生きてゆこう」と書きとめた、そこに金子さんが共鳴された、と黒田さんのことばがき。「谷間谷間に」の字余りが、ひろびろと開けた自由な感じで、深く息ができる。満作の色彩も開放的。@と)
装丁・てざわりもすてきな本です。