「火ここになき灰」feu la cendre ジャック・デリダ
これも(去年か一昨年か)買って放っておいたのをたまたま先週手に取って読みはじめたのだが、その日の夜からはいちいち心に触れるものがある。意味がわかって読めるというのではない。ただ詩のように読んでいるだけ。ただ恣意的に引用するだけ。
- サンドルって誰のこと? 今どこをさまよっているのかしら? 特異名が同じ読みの普通名詞に含まれているのだとすれば、それはまさしく、かつて亡くなった人のことだったのよ。でも今はもう、その名残を保持しつつ喪失していくなにか、つまり灰になっている。それこそが灰なんだわ。つまりもうなにもとどめおかないために、とどめおくもの。そうして残余を散逸に委ねてしまうもの。だからもう、そこにあるのは、灰を残して消えただれかでさえなく、ただの名前[あるいは否(ノン)]、それも判読できない名前(ノン)なのよ。それとも、このテクストの署名者と称する者につけられたあだ名と考えたってかまわないわ。そこに灰がある。こうして一つの文は、その文がなすところのもの、文がそうである当のものを述べているのよ。p30
- いや、この文が述べているのは、文が今あるものではなく、それがあった[fut]ところのものなんだ。このfutという語をすでに何度もあなた(がた)はさっきから口にしているが、忘れてならないのは、それがfeu[火=いまは亡き]を記念しつづけており、故人何某、いまは亡き誰それ、という言い方でのfeuを記憶にとどめていることだ。p32
- 純粋[pur]とは至言だ。それは火を呼ぶ。このものが場所を空けつつ場所を占める。そうして次のことを聴き取らせようとする。なにものも起きなかった[=場をもたなかった]であろう、場所以外には[rien n'aura eu lieu que le lieu]、と。そこに灰がある。つまり場が[=理由が]ある[il y a lieu]。p35
- 済んでしまったことだ[=そこに命令があるil y a prescripsion ]という固有語法(イディオム)は、けっして翻訳されないだろう。ちょうど隠された固有名詞が翻訳されないように。ところでここに見出されるのは、まさに固有表現であって、それがすべて運び去っていく、感謝の方へ、負債や、義務や、命令の方へと。このものの場が=これこれの理由がある[il y a lieu ceci]、それは一つの固有名詞であって、これないしあれをおこなうべきだ、与え、返し、祝い、愛してしかるべきだ[il y a lieu]とするのである。そして、事実、銘文(そこに灰がある)がおかれている場面では、友愛がこの銘文を取り囲んでおり、、謝辞が述べられ、また同時に撒種がなされている。p35
- あの人はきっと慎みがないと思っているでしょうね、あれこれ注釈を施したり、この文を読み上げたり、引用したりすることを。だってそんな仕方は、まさに言葉どおりに、香を焚いて祭ること[ensenser]ですもの。あの人がどう言い張ろうと、「そこに灰がある」という文は彼のものでありつづけるわ。p37
- 作者: ジャックデリダ,Jacques Derrida,梅木達郎
- 出版社/メーカー: 松籟社
- 発売日: 2003/08
- メディア: 単行本
- 購入: 1人 クリック: 4回
- この商品を含むブログ (9件) を見る