塗籠日記その弐

とりふねです。ときどき歌います。https://www.youtube.com/user/torifuneameno 堀江敏幸・宮城谷昌光が好きです。

デジタル・ナルシス 西垣通

 「情報科学イオニアたちの欲望」が副題。筆者がデジタル・ナルシスと呼ぶ(自身のこともそう呼んでいる)偉人奇人たちの研究の成果をたどりつつ、その底にある欲望を文学的とも言える手つきで織りあげてゆく。
 たとえば第一章、筆者はボルヘスの幻獣辞典のゴーレムの記述からはじめる。その後グスタフ・マイリンクの小説「ゴーレム」に言及。「ゴーレムがさまようのは、内部=心の闇と外部=都市の闇が交錯する超空間」であると説く。「真理という言葉(ロゴス)=呪文により生を受け、死という言葉(ロゴス)によって殺されるゴーレムは今でも抽象的存在、闇を背負う存在だ」と。そこからコンピューター社会という錯綜した不可視の迷宮を疾走するエスパーの群れの頭目として、現代コンピューターの鼻祖、オートマトンゲーム理論創始者ジョン・フォン・ノイマンを紹介する。
 第二章、タイトルからして淫靡ではないか。「機械との恋に死すーアラン・チューリングのエロス」。同性愛の禁じられていた英国で若者との関係から猥褻罪で有罪となっていたアラン・チューリング41歳で不幸な謎の死をとげた。彼を題材としたヒュー・ホワイトモアの戯曲「ブレイキング・コード」が紹介される。チューリングは第二次対戦中ドイツのエニグマ=謎=軍用暗号装置解読のためのウルトラ計画に携わり「コロッサス」という真空管コンピューターで見事エニグマを解読したという。ホワイトモアの戯曲は、エニグマを解読する一方、自分の同性愛癖を取り調べの警察官に悪びれず認める(コードを破る)チューリングの透明な精神のありようを描き出す。ここで筆者はそのエロスをたんに「オックス・ブリッジ・ジェントルメンのホモ・セックス」に帰すことはできない、さらに根深い問題を指摘する。チューリングのエロスは「機械と生物の違いは何か」という問いかけにはじまり、「機械と生物との共生進化」を喚起するのだと。後半ではチューリングのエロスを解明するにあたりネオテニーの問題をとりあげ、「人間が道具=機械を扱うのはネオテニー的現象であり、チューリングをとりこにしたエロティシズムは、人間と機械との共生にまつわる未来世界のグロテスクな一面を象徴するような気がしてならない」と述べる。
 デジタル・ナルシスたちの欲望という主菜それ自体も美味しい(おもしろい)が、それを供するにあたって使われる付け合わせ、副菜がたいへんおもしろく刺激的な味わいだ。チューリングの章ではこのあとアルフレッド・ジャリの「超男性」が紹介される。ノイマンの章では、フーリエのユートヒア「ファランジュ」。クロード・シャノンの章ではエントロピー・フィーバーからウンベルト・エーコで「情報」の本質を吟味する。次々供される豪華な食材。
 最終章では「欲望」をキィに情報社会のダイナミズムを語り、「情報機械」の両義性、それが現代人の欲望の増幅=吸収装置となっていることを示し、さらにそれを人間の「第三の性」と呼ぶ。1991年に世に出た本だが、ウェブ・ブログの現在の状況にすでに触れており今読んで充分なリアリティがある。著者はよく新聞のコラムなどで目にしていたが(新書もたくさん出されているようだが読んだことがなかった。)、検索してみたらようつべで話している姿を見られた。小説も書いているということだ。あ、大蛇丸さん、この本おすすめですよー。

西垣先生の研究室の名前もデジタル・ナルシス。↓
http://www.digital-narcis.org/

あ、これも読みたいなー。まあ、数学的な話になると、さっぱりなんですけれども。

続 基礎情報学―「生命的組織」のために

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