塗籠日記その弐

とりふねです。ときどき歌います。https://www.youtube.com/user/torifuneameno 堀江敏幸・宮城谷昌光が好きです。

コトバに遇う 白洲正子と大伴家持

昨日、野暮用日帰りのJRの中で読んでいた文章は、今の自分に強い意味を持って働いた。たぶん、昨日のあのタイミングでなければ、意識しなかっただろうコトバ。だから本はありがたい。どこかの宗教団体に入らなくても、文学のコトバに、おりふし人を立てなおし、正位にもどす「宗教」があるように思う。その「秋(とき)」を選んで、コトバはあちらからやってくるようだ。

…そして、その最後の四千五百十六首目の歌は、雄略天皇から四世紀ほど後の、大伴家持の「宴の歌一首」をもって終る。
  新しき年の始めの初春の今日降る雪のいや重け吉事
  あたらしきとしのはじめのはつはるのきょうふるゆきのいやしけよごと
 詞書に「三年春正月一日、因幡国の庁にして、饗(あへ)を国郡の司などに賜ふ」とあり、前年の天平宝字二年(七五八)、因幡の国守に任命された家持は、都を遠くはなれた北国で新しい年を迎えた。その宴の場(にわ)に降りしきる雪を眺めながら、間断なく積る白雪になぞらえて、吉事が永遠に重なって、絶えることがないように、と願ったのである。
 表面は、めでたい歌詞を連ねただけのように見えるが、藤原氏の勢力に圧されて、次第に衰退しつつあった名族大伴氏の運命を想う時、家持がどのような気持でこの歌を作ったか、察してみずにはいられない。時はあたかも物みな新しく生れ変る時節であり、そこに降りつむ清らかな雪を見て、はかない希望を抱いたのではなかったか。彼は血を吐くおもいで、わが一族の復活と繁栄を、万葉集二十巻のうちに籠めたに違いない。正月の歌を最後においたことも、再びめぐり来る春を祈願したためで、その希いはついに私事を離れて、栄えあるやまと歌の伝統が、とこしえに続くことへの祈りへと転じて行ったように見える。 白洲正子「花にもの思う春」万葉集古今集p13   

以前、上記の家持の歌を目にしたときは、その背景を知ろうとすることもせずにいた。それでも寿詞(よごと)としての呪的に強い力は何となく感じていたのだが、今、並ぶもののない「古典の読者」である白洲さんという水先案内に導かれて読むと、その「血を吐くおもい」が歌中の「の」の連なり、雪の白さと祈りを、どこか「凄み」のあるものと感じさせ、それによって受けとめられる歌の純度はおそろしく強くなる。ぐにゃりと歪んだ自分の(こころというより)肉体は、いったん揺さぶりをかけられて、正位にもどろうとし始める。

花にもの思う春 (平凡社ライブラリー)

花にもの思う春 (平凡社ライブラリー)