塗籠日記その弐

とりふねです。ときどき歌います。https://www.youtube.com/user/torifuneameno 堀江敏幸・宮城谷昌光が好きです。

青森行その壱 金木・五所川原

東北を訪れるのは、岩手、宮城に続き3度目。各所のねぶた祭のあとはホテルが空いている。5時前に起き、7時、札幌発スーパー北斗2号乗車。
電子辞書にSDカードで入れた、青空文庫太宰治津軽」序を読んで、土地の感覚を入力。Eブックとちがい、字が拡大できないのが残念だが、なんとか読める。カシオさん、こんどはライブラリのテキストファイルの字も拡大できるのを作って。太宰の小説は中学のとき「走れメロス」を読んで、ああいやだ、ざわざわするっ、と思ってから、ほとんど読んでいない。「富嶽百景」と「津軽」のタケとの出会いくらい。この二作品はそういやではなかった。若々しく明るくてよかった。このたび「津軽」を頭から読んで、書かれた文章というより、改めて太宰の文体に「語り物」の感じを強く持った。
弘前についての記述で「隠沼(こもりぬ)」という言葉が目をひく。

あれは春の夕暮だつたと記憶してゐるが、弘前高等学校の文科生だつた私は、ひとりで弘前城を訪れ、お城の広場の一隅に立つて、岩木山を眺望したとき、ふと脚下に、夢の町がひつそりと展開してゐるのに気がつき、ぞつとした事がある。私はそれまで、この弘前城を、弘前のまちのはづれに孤立してゐるものだとばかり思つてゐたのだ。けれども、見よ、お城のすぐ下に、私のいままで見た事もない古雅な町が、何百年も昔のままの姿で小さい軒を並べ、息をひそめてひつそりうずくまつてゐたのだ。ああ、こんなところにも町があつた。年少の私は夢を見るやうな気持で思はず深い溜息をもらしたのである。万葉集などによく出て来る「隠沼(こもりぬ)」といふやうな感じである。私は、なぜだか、その時、弘前を、津軽を、理解したやうな気がした。この町の在る限り、弘前は決して凡庸のまちでは無いと思つた。

 埴安の池の堤の隠沼の行方を知らに舎人は惑ふ 柿本人麻呂
殯の歌。
 隠沼の下ゆ恋ふればすべをなみ妹が名告りつ忌むべきものを 柿本人麻呂
これは恋歌だ。隠る(こもる)とか籠める(こめる)とか、好きな種類の言葉であり、好きな意味だ。
函館で白鳥18号に乗り換え、1時前に青森に到着。
   木古内あたり
 夏の海雲母の果てはうすれゆく
 炎昼の海誰(た)が砕きたる鏡  白鴉亭 
青森駅前から弘南バスで五所川原へ。運賃片道950円。たいへん。二人で往復したら、もう3800円。先がおもいやられる。長いバスの道。調べてあった時刻表よりどんどん時間は遅れていく。次の列車に間に合わなかったら、と不安になるが、なんとか15時津軽五所川原発の列車に間に合う。ひたすら続く青田。金木駅から斜陽館。太宰治の「甘えたさん」ぶりを随所に感じる。久しぶりにもとの場所に帰ったという仏壇は絢爛だ。どれがどれやらわからなかったけれど、最近本(山折哲雄「教えること、裏切られること」)で読んだばかりの七高僧の姿も刻まれているらしい。龍樹・天親・曇鸞道綽・善導・源信源空。 
   津軽鉄道風鈴列車
 津軽鉄道斜陽青田を舐める
 一面の炎暑灼かれつつ車影ゆく  白鴉亭
五所川原に戻る。あてにはしていなかったが、最終日の立侫武多を見ることができた。ビルの7階に相当する姿は圧巻。立侫武多の館に格納されているのが、動き出すところから見られた。マジンガーZ出動。ここにあった2体のうち、1体の美人侫武多の下では、五所川原農林高校の生徒達が囃子の音出しをしている。祭り最終日がこれから始まるという、熱のこもるざわめき。経験したことのない農村の祭りのライブ感、笛は絡まるように流れ、太鼓が腹底に響く。駅前にべた座りし、ビールを飲み、焼き鳥を食べながら、聴いている。(札幌ではこの振る舞いは個人的にできない。)暮れ行く中、侫武多に灯がともり、ずずーっと動き出す。青森のようなハネトはない。ゆっくりと動いてゆく立侫武多と囃子が、逆に激しく沸き立つものを感じさせる。例のバスで青森に戻らなければならないため、クライマックスまではいられなかったが、見せ場の十字路でぐるりとまわるところまでは見られた。よかった、よかった。
   五所川原立侫武多
 立侫武多十字路発射台の如
 炎宵の侫武多ゆらりと動き出づ
 悪党も許されてあり立侫武多   白鴉亭