塗籠日記その弐

とりふねです。ときどき歌います。https://www.youtube.com/user/torifuneameno 堀江敏幸・宮城谷昌光が好きです。

数に強くなる 畑村洋太郎

飛びついて買うのもなんだかなーと思ったけれど、つい飛びついて買ってしまった。「はじめに」の部分を読み出して、なんだか落語のような語り口だぞと思ったら、次の「前口上」で「のっけから本当に唐突な話だが、筆者は昔から落語が大好きなのである。」と出てきて愉快な気持になった。なるたけすぐに読んで、よかったら、私と同じく数に弱いおともだちにも薦めよう。

数に強くなる (岩波新書)

数に強くなる (岩波新書)

というわけで読み終わった。これを読んで数に強くなったとはさっぱり思えないが、ところどころで笑いをさそう、人をくったような語りが愉快な本であった。ことに「蛇足」欄でのくすぐりが可笑しい。

  • p132 蛇足 「先生は言うことがすぐに変わる。」筆者は秘書の人たちから、いつもそう文句を言われる。朝令暮改など当たり前、朝令朝改だってあるのである。しかし、言い訳をするつもりはないが、それはしょうがないのである。筆者しいう人間は、どこまでも「変わる」が基本だからである。

などなど。

  • p135 蛇足 「人間は数に一喜一憂する」という特性がある。これは、数を量的な変化でしか見ていないときに人間が起こす通弊である。量的な変化に気を取られていると、その数の裏で進行している質的変化を見逃すことになる。絶対にしてはいけないことは、質的変化の進行に気づかずに、その影響を直接受けてしまうことである。

このあたりは、実感としてあるわね。
おもしろかったのは、「3 数の声を聞く」の音と光の話。筆者の仮説として紹介されている。

  • p161 音を拾うダイナミックレンジを広げるうえに、さらに「変換」という動作が必要だ、と筆者は考えている。そして、その変換には「対数」が使われているのではないか、と筆者は考えるのである。人間は、蝸牛管と対数変換との組み合わせにより「音のスパイラル」を実行することで、1000倍の違いを捉えられる広い可聴範囲を実現しているのではないか、というのが筆者の仮説である。ここで仮に1000のレベルの音が耳に入ってきたとしよう。こういうときに人間は、1000のレベルのままでなく、たとえばその対数である3(底は10とする)に変換し、脳が取り込みやすい1のレベルにまで落としているのではないか。
  • p166 ところで注意してほしいのは、その音の階段では、一段上がるごとに音の高さが6%掛けになることである。ということは、である。トントン上がって6%掛けを12回くり返すと、音の高さは2倍、すなわち1オクターブになるわけである。そして面白いのは、そうしてピッタリ6%掛けにそろえた1段ずつが、ちょうど人間の「音の高さの識別限界」になっていることである。(中略)筆者はここから「6%の原理」という一般則が引き出せるのではないかと考えている。人間は、何事も6%違ってくると、「これは違うぞ」と認識するのではなかろうか。

これはなんだかいろいろな場面に応用できそう。逆に言えば5%以内にとどめておけば、違ったことに気づかれない、なんて技にも使えそう。
このあと、気持よいと感じる「ドミソ」の周波数の比が「4:5:6」になっており、音の間の半音の数は「4・3・5」になっていて、これが美しいとかうっとりする感覚と結びついているのではないか、とか、光の「RGB」の振動数のだいたいの比が「4:5:6」だ、とかいう話になり、「人間の五感は「3」という数で全部つながっている気がする」、「ぜひ検証してみたい」、といっておられる。ぜひ検証してみてほしい。
最後の「4 数を使う」もおもしろい。大笑いしてしまったのが以下。

  • p211 ニッパチの法則 「最初の2割の努力で、成果の8割は達成される」という法則である。(中略)ニッパチの法則によれば、最初の2割の努力で8割の成果が挙がる。コストパフォーマンスで言うと4である。ところが、その後になると8割の努力で2割の成果しか挙がらなくなる。コストパフォーマンスは1/4に落ちる。これは逆に言うと、あるところまでがんばって成果が出たらスパッと切り上げろ、ということである。たとえば、会社の売り上げの8割は2割の製品が挙げていたり、会社の利益の8割は2割の社員が稼いでいたり、ということが現実に起こる。そういう特性を知って上手に生かすのがよい仕事である。ところがである。「全部を完全に完璧にやりたい人」というのが必ずいるのである。こういう人は、仕事でも何でも、最後まで完全に完璧にやり通すのが、とてもりっぱで意味があることのように思っている。そして自分のコストパフォーマンスを無視して、いつまでもやりつづける。挙げ句の果てに終わらないのである。全体から見ると、こういうことが一番いけない。完全完璧はその人の単なるこだわり、さもなければ、趣味である。仕事でも何でも、頃合いを見てやめないと、時間と労力のかけ過ぎで、かえってダメになる。
  • p213蛇足 たとえば、情報収集も同じことが当てはまる。最初に得られた2割の情報で、必要な情報はだいたい取れているのである。

まことにまことに。
このあとの「2-6-2の法則」「やる気があってよく働く人-普通に働く人-全然働かない人」というのも愉快だった。全然働かない2割の人たちはその他の8割の人たちのおかげで食べさせてもらっている。いわゆる「ブラ下がり」である、というところ。
いやー、わたしはブラ下がりもいてよいと思っているところがありますよ。ってわたしがブラ下がり? 筆者の使っている意味とわたしの思うところ、少し違っているとは思いますが、「ブラ下がり」の語感けっこう好きです。