塗籠日記その弐

とりふねです。ときどき歌います。https://www.youtube.com/user/torifuneameno 堀江敏幸・宮城谷昌光が好きです。

「長城のかげ」宮城谷昌光

長城のかげ (文春文庫)
秦末~漢の混乱期を背景に、項羽劉邦に関わる5人の人間を主人公に据えた5篇の短編。古い山川出版社の世界史地図を見つつ読むも、混乱、混乱。だいたい、この眼にあの地図はもう細かすぎ。この時代になってくると、宗教的なモチーフが少なく、そういう点では、もっとさかのぼった作品の方が好きかも。

 



印象に残ったところ。始皇帝から高祖劉邦まで、すべての主権者に近侍した叔孫通の、儒者としての道を描いた、「満天の星」より。



 ー学者とは無邪気なものだ。
 あるいは傲慢なものだ、と叔孫通はおもう。まず、自分があって、つぎに相手がある、というしゃべりかたをする。自分と相手とが対等にあるとは考えないし、まして相手が先にあるなどとは、つゆおもわない。



劉邦の長子、劉肥(後の斉王)を主人公にした、「風の消長」より。


 肥は闇のなかで考えた。
 ー呂娥ク(女句)は虚妄のない人だ。
 想到したことはそれである。呂娥クは自分をいちどもうしなわず、自分でありつづけた。これほど正直な人もいない。ところが社会や組織のなかで、そういうありかたはべつの相貌をもつ。純粋さは残酷さをもつ、ということである。


母曹氏をおいて、呂后を正妻とした父に失望し、空虚の中にいる少年劉肥に、曹参が向けた、「哀しいので、なにもしないのか。なにもしないので、哀しいのか」という問いは深かった。



ところで、項羽と劉邦どっちが好きかと言われれば、わたしは直情径行で破滅に向かう項羽の方が好きかな。あわれを催す。