「長城のかげ」宮城谷昌光
秦末~漢の混乱期を背景に、項羽、劉邦に関わる5人の人間を主人公に据えた5篇の短編。古い山川出版社の世界史地図を見つつ読むも、混乱、混乱。だいたい、この眼にあの地図はもう細かすぎ。この時代になってくると、宗教的なモチーフが少なく、そういう点では、もっとさかのぼった作品の方が好きかも。
印象に残ったところ。始皇帝から高祖劉邦まで、すべての主権者に近侍した叔孫通の、儒者としての道を描いた、「満天の星」より。
ー学者とは無邪気なものだ。
あるいは傲慢なものだ、と叔孫通はおもう。まず、自分があって、つぎに相手がある、というしゃべりかたをする。自分と相手とが対等にあるとは考えないし、まして相手が先にあるなどとは、つゆおもわない。
劉邦の長子、劉肥(後の斉王)を主人公にした、「風の消長」より。
肥は闇のなかで考えた。
ー呂娥ク(女句)は虚妄のない人だ。
想到したことはそれである。呂娥クは自分をいちどもうしなわず、自分でありつづけた。これほど正直な人もいない。ところが社会や組織のなかで、そういうありかたはべつの相貌をもつ。純粋さは残酷さをもつ、ということである。
母曹氏をおいて、呂后を正妻とした父に失望し、空虚の中にいる少年劉肥に、曹参が向けた、「哀しいので、なにもしないのか。なにもしないので、哀しいのか」という問いは深かった。