塗籠日記その弐

とりふねです。ときどき歌います。https://www.youtube.com/user/torifuneameno 堀江敏幸・宮城谷昌光が好きです。

地下鉄の暴力

数日前のことだが、朝の地下鉄に乗り込み、腰掛けて、いざ朝の読書をば、とページを開いたら、隣に20代くらいの女性が座り、ポータブルCDで、おそろしい音量で音楽を聴きはじめた。あ゛ー。わたしはその音漏れのシャカシャカが苦手だ。がまんの限界を超えるレベルだったので、すみませんが、と声をかけた。はじめはそれも聞き取れぬほどだったらしい。すみませんが、もうすこし音量を下げていただけませんか。音漏れがひどいので…。幸い、その人は、あっすみません、と音量を下げてくれた。(ほんとは「ゴルァ、ハヨスイッチバキランカ、ウ゛ォケ」くらいの気持ちは渦巻いている。これってロシア語? おほほ。)こういう場合はラッキーだ。相手の様子では、言えない場合もある。(いきなり腹をさされたりするとまずい。)そういうときは、相手に見えるように手で耳を塞ぐこともある。これでうまくいく場合もある。いっとき、よほど耳栓を携帯しようかと思ったこともあるが、それではあまりにタコツボで、世界に対して開いていないのでよろしくないと思ってやめている。自分だって大きい声でしゃべったり、職場で鼻歌歌ったりして、音の暴力を行使してしまっている場合があるし。


一度やってみたいのは、そういう人がいるときにそっちを向いて大きな声で歌いだす、というものだ。目には目を、音には歌を、ってね。気持ちの悪い人になりきり、「意味不明」をつきつけて阻止してみたいが、ちょっと危ないのでやめておく。また、何を聴いているんですか、そんなに音量をあげるからには、みんなにも聴かせたいんでしょ、わたしにも聴かせてくださいよー、とヘッドフォンをとりあげるとか。


日本の野鳥クレオール事始以前隣で化粧しはじめた女子に、やめてくれませんか、と言ったこともあった。(そのときもかろうじて成功。)向かいでケータイする人には、しょうがないので、いやーな顔をして、邪悪な念を飛ばす努力をする。そういうことがあるたびに、家人には、お前今に刺されるぞ、気をつけろ、と言われている。今村仁司先生の「現代思想のキイ・ワード (講談社現代新書 (788))」に音の暴力の話があったなぁ。あれは誰の思想を紹介したページだったか…。とにかく音楽好きなわたしとしては、あのシャカシャカ音だけはどうにも許し難いのだ。そのためもあって、5時半に起きて、乗客の少ない7時の地下鉄に乗っているくらいなのだ。それに地下鉄の轟音にあらがってボリュームあげたら耳に悪いと思うよ。


ちなみに、その朝わくわくしながらページを開いたのは「クレオール事始」。「国境なき文学 (アウリオン叢書)」「魔法のオレンジの木―ハイチの民話」を読んだ流れで読みはじめているが、ラフカディオ・ハーンも出てきて(ハーンがそっちを歩いていたなんてびっくりだった)おもしろくそそられる内容。今聴いている音は「日本の野鳥」。これは、山部赤人の歌のことを書いていて、千鳥の声を聞いたことってないや、と思い探したが、千鳥の入ったのは見つけられず、でも鳥の声を聞こうと買った。札幌は鶯も郭公もまだふた月くらい先だ。で、現在朝のお目覚めに森の夜明けのトラツグミ(鵺の鳴く夜はおそろしい、というのがあったな)、ひそやかすぎて、ちょっと目覚めづらいけど。