塗籠日記その弐

とりふねです。ときどき歌います。https://www.youtube.com/user/torifuneameno 堀江敏幸・宮城谷昌光が好きです。

「ムーミンを読む」富原真弓

彫刻家の娘」やトーベ・ヤンソンコレクションの訳者によるムーミンの読み解き。ちょうどミィの言葉を話題にしていた直後、借りてくる機会があった。(いつも読書の小さな流れはこんなふうに続いていく、不思議だ。)はじめのうちは、物語をなぞっているだけかしら…という思いで読んでいたが、やはり、ムーミンはこのようにしか読めないのだ、と想い至る。シリーズのすべての物語のすべての断面が、深い意味と解くべき謎に満ちているのだ。その意味で、著者の態度はまちがいなく誠実だ。ていねいに物語を掬いながら、要所要所で、必要最低限のはずれのない読みを展開する。深読み、曲解や思い込み、切れすぎる刀で切りすぎる、ということがない。ヤンソンさんとその作品への敬意が感じられる。以前読んだときに感じた問題が次々と思い出され、またあらためて形になる。個と共同体のバランス。境界について。怒りと悲しみの行方。ひとり立つ、ということ。予期せぬ客の到来と、歓待。他者。それから…。


トーベ・ヤンソン・コレクション 1 軽い手荷物の旅彫刻家の娘ムーミンを読むとはいえ、やはりこれはムーミンの入門書としてはお薦めしない。ムーミンの入門書は、あくまで、ムーミンシリーズの作品自体であるべきだから。人によって読み取ることは様々だが、必ず読むたびに何かにあたる。ちょっと前にも書いたが、苦しんでいる少年少女はカウンセリングなんか受ける前に、じっくりムーミンを読むといいんじゃないかしら。「ムーミン谷の十一月 (講談社文庫)」でも「ムーミン谷の冬 (講談社文庫)」でも「ムーミン谷の仲間たち (講談社文庫)」でも…すべていい。よい詩や優れた文学は、ときに副作用のないよい薬になる。(例の斎藤某みたいに最初から治療目的で即効性を求めるのはいやらしい読み方だが、たとえば養命酒みたいに効いてくるような気がする。)


この本を読んでいて、またひとつ、大好きだった言葉がよみがえった。(確認済み。)

「雪ってつめたいと思うでしょ。だけど、雪小屋をこしらえて住むと、ずいぶんあったかいのよ。雪って白いと思うでしょ。ところがときにはピンク色に見えるし、また青い色になるときもあるわ。どんなものよりやわらかいかと思うと、石よりもかたくなるしさ。なにもかもたしかじゃないのね。」
「ものごとってものは、みんな、とてもあいまいなものよ。まさにそのことが、わたしを安心させるんだけれどもね。」ムーミン谷の冬 おしゃまさん(トゥティッキ)の言葉

そして、「ムーミンを読む」のあとがきには、ヤンソンさんのこんな言葉が。

「わたしは境界が好きです。夏と秋の境界である八月は、わたしの知るかぎり、最高の月です。夕暮れは昼と夜の境界ですし、浜辺は海と陸の境界です。境界とはあこがれです。ふたりのひとが愛しあいながらも、なにひとつことばを交わさないときのように。境界とは途上にあるということです。重要なのはそこへいたる道のりなのです。」

ムーミンの魅力、謎の答えがここにあるような気がする。この本はムーミンを読み終えた人がもう一度思い出したり、考え直したりするのにうってつけの一冊だ。