塗籠日記その弐

とりふねです。ときどき歌います。https://www.youtube.com/user/torifuneameno 堀江敏幸・宮城谷昌光が好きです。

オイスターボーイの憂鬱な死 見捨てられた、惨めな、そして透明な

ジョニー・ディップ主演の「シザーハンズ」では、創造主である博士の急死で、ぬくもりのある人間の「手」をもらいそこね、触ったものすべてを傷つけてしまう鋏の手(シザーハンズ)を持った男の子が、古い城から人間たちの住む町におりてきて、一度は受け入れられたものの、その「異形」ゆえ、愛するものまで傷つける結果となり、再びたった独りの世界に帰っていった。奇妙で、グロテスクで、やがて水のように悲しいティム・バートンの世界。

すっかり有名になった「ナイトメア・ビフォー・クリスマス」は、ハロウィンタウンのかぼちゃの王ジャックが、自分は見たことのない、「クリスマス」を自分の手でつくろうと、やっきになるお話。邪悪なものである彼の手にかかると、美しいはずのクリスマスは、どんどんおそろしいものになってゆく。

さて、「オイスターボーイの憂鬱な死」の目次をのぞくだけでも、わたしたちは、バートンの眼、または愛と呼んでもいいものがどこに向けられているかを知ることができる。

スティック・ボーイとマッチ・ガールの恋/ロボット・ボーイ/じーっと見つめる女の子/両眼に釘がささった男の子/たくさん眼のある女の子/ステイン・ボーイ/オイスター・ボーイの憂鬱な死/ヴードゥー・ガール/ステイン・ボーイの特別なクリスマス/ベッドに変身した女の子/有毒少年ロイ/ジェームズ/スティック・ボーイのクリスマス/まんまるチーズ坊や/ミイラ少年/ガラクタ・ガール/針やま女王/メロンヘッド/スー/ジミー、みにくいペンギンのこ/黒焦げ少年/いかりの赤ん坊/オイスター・ボーイのおでかけ

ああ、なんだか…書いているうちにお腹のあたりが苦しくなってきた。

こんなもの、子どもに読ませてはいけない。でも、待てよ。そもそも子どもとは、そんなに美しくて当然のように幸せなものでもないのだ。この世に生まれさせられた子どもはみな、すでに<捨て子>だ。

マッチ・ガールを愛したスティック・ボーイはほんとに燃えてしまい、ロボット・ボーイの頭からはワイヤーやチューブが突き出ていて、親であるスミス夫妻は彼ゆえに口論が絶えず、彼はごみ箱とまちがえられながら、成長していく。ステイン・ボーイの唯一の特技は汚いしみを残すこと。オイスター・ボーイは生臭くて、親にはまともな名で呼んでもらえない。ヴードゥー・ガールは、人が近づきすぎるとピンがハートを深く突きさす。それが絶対に解けない呪いだと、彼女は知っている。有毒少年ロイは排気ガスならよいけれど、きれいな空気で死んでしまう。黒焦げ少年はクリスマスに小さなプレゼントをもらって混乱し、暖炉のすすと間違えられて、道に掃き出された。………。DESERTED。

かわいそう、と言うことばではうまく処理できない。そんなにかんたんに対象化してしまえない存在がそこにある。見捨てられて、徹底的に惨めなものたちは、それでもたしかに(あるいは惨めであればあるほどたしかに)生きている。そして彼らが自分と遠くかけ離れているとは、どうも思えない。これこそが<存在>そのもののあらわな形なのだ。

バートンが、あのようなものばかりを、いとおしむように繰り返し描く気持ちが、そのまますーっとこちらに入ってくる。酷薄で美しい細い線。淡いけれど強い色。暗紅色の血と、深く、どす黒く、闇をかかえこんだ、<しみ>や<すす>。…うーん、やはり子どもには読ませられない。それと、やたら傷つきやすい人にもね。

映画「バットマン」のペンギンが大好きだった人は、もちろん必読である。