塗籠日記その弐

とりふねです。ときどき歌います。https://www.youtube.com/user/torifuneameno 堀江敏幸・宮城谷昌光が好きです。

大事故のニュースを見ていて

アジア人として、自分のなかの多神教的な感覚の優勢(キリスト教に対するどこか居心地の悪い感じ)を感じているわたしだが、十代の後半に唐突に身内を亡くしたときに感じたのが、圧倒的な簒奪者としての一神教の神の存在(見えざる手)だった。与えるときにではなく、奪うときに、その存在が強く感じられるのだ。責任とか原因究明とか、今後の対策とか、もちろん必要なことなのだろうが、すでに起こってしまったことをどうすることもできない、という諦念が常にある。受け容れられないものをどう受け容れるか、許せないものをどう許すかということ。人間が、時間の意識を持って生きている以上、世界は恐怖と暴力という顔を向けて迫ってくるのだから。


…書いていて思い出したのだが、脱線事故の数日前にこんな歌を作っていた。曲と歌詞が一緒に出てきたのだが、曲の方は書きとめたり録音したりしなかったので、忘れてしまった。今読むとニュースと重なって見えて、奇妙な感じだ。
http://www.enpitu.ne.jp/usr7/76940/diary.html