塗籠日記その弐

とりふねです。ときどき歌います。https://www.youtube.com/user/torifuneameno 堀江敏幸・宮城谷昌光が好きです。

源氏物語論 源氏物語のもののあはれ

源氏物語論 (洋泉社MC新書)

源氏物語論 (洋泉社MC新書)

源氏物語のもののあはれ (角川ソフィア文庫)

源氏物語のもののあはれ (角川ソフィア文庫)

 読了。「もののあはれ」の方で「もの」という語の意味のコアが「不可変性」だという考え方を読んで、途中で吉本の「論」のほうに行き、読了してから「もののあはれ」を(アークティック・モンキーズを聴きながら)読み終えたので、おもしろかった。吉本の方は吉本本としては読みやすく、物語に寄り添う読みがいちいち自然で感じがよかったが、その内容を振り返ってみようとするとうまくいかない。ほんとにアタマボさん。「もののあはれ」の方は、「もの〜」を「なんとなく〜」と読んでいたので、あっと思うことだらけだった。これから古典の読みが大きく変わりそう。
 それにしても2冊のむこうに見えてくる「源氏物語」、ものすごい作品だというのは思い知られるが、やはりいらいらする話だなあ、という感じは依然ある。特に吉本のを読んでいると、「源氏物語」の人物たちは、生の人生を生きて動いているようには思えない。みんな半分死に体である。心だけの亡霊たちがいざっている印象だ。それと思ったのは、物語のうち「光源氏」の部分は「宇宙戦艦ヤマト」で、「宇治十帖」は「ガンダムヱヴァンゲリヲン」か、ということである。意味不明ですね。笑。

だがそれにもかかわらず、天皇を中心にしたわずか十数人の貴人たちを登場人物とするこの男女の愛恋の世界は、あまりに特異で隔絶されていて、わたしたちを当惑させる。この当惑は、単に素材とした世界が特殊でせまいことからくるのではない。その意味でなら、素材にはどんな付加価値もないからだ。この神聖なディスポットを中心とする少数者の世界は、わたしたちを戦慄させるほどの遠距離に、実景のイメージを喚び起こす。それはもうたんに素材の特殊なせまさ、かたよりでなく、世界の質の相異、異類が住む世界というほどの距離を感じさせる。それはわたしたちに、一種の羞かしさを強いるほどだ。P197「環界論」