塗籠日記その弐

とりふねです。ときどき歌います。https://www.youtube.com/user/torifuneameno 堀江敏幸・宮城谷昌光が好きです。

村岸宏昭君が亡くなった

村岸宏昭君が、8月13日に旅先、高知の川で(川遊びをしていて)亡くなった、ということを今日知った。大学4年、22歳の若さで。わたしは彼のことをあれこれ書けるようなお付き合いではなかったが、あまりにも印象深く、不思議に人をひきつける青年であったので、この知らせに呆然とし、息苦しさを覚えている。彼と初めてあったのはシアター・ラグの公演だったか。村岸君は10代の終わり、大学に入ったばかりで、無垢な少年の風情を残していたが、話しているうちに、彼が既にレヴィナスやその他の書物をあれこれ読んでいることを知って、驚いたのだった。へー、東京のJ大のスペイン語学科にも受かったのに、H大に行くことにしたの、あなたみたいなセンスの人には、J大の方がずっとよかったのじゃない? なんて、初めて会ったばかりで、近所のおばさんみたいに、勝手なことをしゃべった。その後会ったのは数回である。彼の音楽も少ししか聴いていない。フランスから帰ってきた後に会った時は、もうすっかり大人っぽくなっていて、静かで瞑想的なたたずまい、すこし近寄りがたい印象だった。2004年のスマロケ祭で、彼の音楽とパフォーマンスを観たのが(「衰弱死」というユニット)彼と会った最後だ。あのときは、もうそんなにたくさんは話さなかったな。わたしは何をしていたんだろう。きっといつかまたどこかで会えると思って安心していたのだ。この7月に、とても近い場所で個展を開いていたことも、彼自身のサイトも、今日あれこれ探して、初めて知ることだった。沢山の人に愛され、惜しまれていた。自身のサイトには、8月、9月と旅をするという予定が記されている。個展の紹介には、彼が川を愛していたことが書かれている。息苦しい数時間を過ごすうち、こんなに少ししか縁のなかった彼の形見があるのに気がついた。会ったばかりのころ、彼が自作の皮のバングルをしているのを見て、いいねー作って作って、とMちゃんとねだって、おそろいで作ってもらったのだ。それだけが、ここにある。あんまりひどいことだが、静かで動かない事実だ。わたしはそのバングルを見て泣きそうになるが、自分のオハナシの中で感情を動かしているだけで、泣く資格はないだろう。わたしは彼のことをほとんど知らないというべきだ。しかし、亡くなった村岸君の、静かな光を放つような才能や、彼にやってくるはずだった時間と、彼が他の人にもたらすはずだった波のことを想像せずにはいられない。「ギフト」。あまりに美しい「ギフト」。
http://blog.goo.ne.jp/h-art_2005/e/c43910124f7b3019772fdb85826004c1
http://kakiten.exblog.jp/m2006-08-01/#3072037
http://sair.exblog.jp/3583530
村岸宏昭君本人のサイトhttp://muraguishi.jpn.org/index.htm

(ちがう、2004が最後じゃない。いま思い出した。去年、いや、今年だったか。ステラプレイスエスカレーターの下でつかの間の再会。あのとき、二言三言しか言葉は交わさなかったけれど…。)